福山歩兵第41連隊のレイテ島における戦跡調査報告書④

4、レイテ脊梁山脈の現地調査
筆者は平成23年と24年の2回にわたり脊梁山脈の現地調査を実施した。戦場に実際に立つことにより今まで見えなかった物が見えてくるのではないかという思いもあった。カルメーラ・アケヒラ女史の尽力によりカリガラの隣町カポーカン警察署の協力を仰ぎ、517高地の登山口Monloy村のEyok氏の案内により、現地調査が実現した。

<登山口より517高地を遠望 手前の台地右手に前進陣地>
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平成23年6月28日、現地住民が言うところの通称「ジャパニーズ・ホール」に4人の住民と共に案内してもらった。約3時間がかりで登った山はGPSで計測したところ北緯 11°14′52.6″ 東経 124°37′44.4″ 標高675mであった。レイテ島の地図と照合し、日本軍の692高地(バディアン山)と推定された。両側が切り立ったナイフリッジ状の尾根に多数残るタコツボ陣地を発掘したところ、米軍の軍靴、医薬品の壜が出土し、米軍が占領していたことが判明した。
30日には尾根続きにあるという「ジャパニーズ・キャンプ」に案内してもらった。692高地よりさらに奥地であり、アップダウンの続く厳しい山道を辿り到着した場所には692高地より多数の塹壕が掘られており、一見して強固な陣地跡であることが確認できた。GPSで計測したところ北緯 11°14′33.7″東経 124°37′30.5″標高690mであり41連隊の正岡大隊が布陣した716高地(2348高地)と推定された。塹壕を発掘したところ多数の薬きょうが出土したが、あいにく雨天となったため短時間の調査しかできなかった。来年の再調査を期して下山した。
現地住民によれば、戦後この山域に足を踏み入れた日本人は筆者が初めてとのことであった。リモン峠で戦った第1師団遺族会の相原氏や第26師団の重松氏にお尋ねしても、現地に慰霊団や遺骨収集団が入った形跡は無いそうだ。

692高地で出土した米軍の薬壜
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716高地で出土した薬きょう
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平成24年7月18日~20日にかけて2回目の現地調査を実施した。今回は山中にキャンプを張る2泊3日の予定であり、現地住民8名の協力を得ることができた。手分けして食料・飲料水・テント・シャベル等を背負って登り、716高地の一角にベースキャンプを設営した。キャンプは立ち木を蛮刀で切り倒し、高床式のデッキを設営してブルーシートの屋根を被せたもので、1時間程度で完成させた手際の良さには驚いた。また、夕食では日本兵も食べたであろう山中に自生するソテツやバナナの木の芯を採取し、焚き火で蒸し焼きにして食べたが、予想外に美味しかった。

今回の現地調査の目的は以下の通りである。
①716高地の陣地の詳細を調査し、規模等を推計する。
②41連隊が布陣した証拠を探索する。
③戦死した将兵の遺骨を探索する。
④41連隊の脊梁山脈における行動経路を推定する。

7月18日午後、まず716高地の陣地全体の実況見分を行った。筆者らのキャンプは陣地の東端にあたり、標高は670m、南北は絶壁となった尾根が西方向に繋がっている。陣地は東西300~400m、南北が30~40mという尾根上にあり、経路を辿ると道の両側には数百人を収容可能な多数の壕が掘ってあり、徐々に標高が上がり700mを越えたところで背の高い葦の草原となった。例えるならば楠木正成が立てこもった千早城を髣髴させる天然の要害であり、現地住民の証言によれば、米軍は716高地を攻めあぐね空中よりナパーム弾で焼き払ったという。それゆえに現在でも草原なのかもしれない。頂上は標高700mを少し超えており、「716」の数字はほぼ正確だ。頂上から東側はカリガラ平野からサンファニーコ水道、米軍の上陸したドラグの海岸線まで遠望することができ、レイテ戦の戦況全般を掌握することができるポイントであった。住民によれば西側はオルモック渓谷のカナンガを遠望することもできるそうだ。山頂にはなぜか深さ4mの巨大な穴が掘られており、おそらく「山下財宝」を探す何者かが掘ったものと想定された。頂上一帯から西側の稜線にも塹壕は多数あり、なぜここに塹壕が掘ってあるのか、ジャングルの中で目を凝らすと「射線」をよく考えていることがわかる。当時の指揮官が何を考えて、この陣地を構築したかという点が見えてきた。

<716高地の塹壕の配置>
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青:ベースキャンプ 緑:経路 赤:山頂 黒丸:塹壕 ----------------100m

7月19日、鳥の声で目覚める。このジャングルの木々のざわめきと鳥の鳴き声は日本兵も聴いたであろう。この日は金属探知機を使用して100を超える塹壕をチェックして反応があれば発掘した。その結果、ガスマスクからホースで連結された濾過缶、ヘルメット、飯盒、96式軽機関銃の弾倉、擲弾筒の信管等、いずれも旧日本軍の装備や兵器を発見し、ここに日本軍が布陣していたことは証明された。

<出土した日本軍の装備等>
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巨岩を利用した塹壕跡
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by kkochan-com | 2012-07-30 13:52 | Trackback | Comments(0)
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