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ある終焉

年末より調子を崩していた、祖父・大谷熊夫が亡くなりました。

皆さんはご自身の「ルーツ」について調べたり、思いを馳せたことはありますか?
私は今までに、親族の誰それに似ているとか、血を引いているとか言われても、あまりピンと来ませんでした。私の場合、母方の祖父に似ているとよく言われたものでした。

その祖父が1月10日に93歳の天寿を全うし、残された94歳の祖母に代わって私が葬儀委員長として采配を振るって来たところです。
祖父は今どき珍しく、生誕の地で終焉を迎え、70年間連れ添った妻に見取られました。
自宅で死装束をし、出棺するという今では珍しい経験もできました。

私が物心付いた頃は、祖父はすでに一線を退き、短歌会の会長や、わずかの田畑を耕して余世を過ごしていました。しかも気難しい性格で近寄りがたい雰囲気があり、私にとっては「恐いおじいさん」でした。

その祖父の書斎を整理していると、なんと50年前の日記が出てきました。
祖父は生前、毎日日記を付けており、90歳前まで続けていたようです。
当時40歳前半の祖父は、農業学校の教員の傍ら、岡山県の旧真庭郡津田村の村議会議員であり、副議長まで務めたそうです。当時、落合町との合併問題が浮上し、その顛末がまるで議事録を読むかのように克明に記録されていました。
また、請われるがままに、下記の数々の役職を歴任したようです。
●津田村議会副議長
●旭町教育委員長
●落合ライオンズクラブ会長
●旭短歌会会長
●旭町老人会会長

通夜の席で親類縁者が集まり、故人の人柄を偲ぶ話が多々あったわけですが、「正義感あふれる人」「短気」「誠実」「口下手」「信念の人」「最期までやり通す」「不言実行」などの評価でした。

文筆の方も才能があり、若い時から小説を書き、短編集「自己を救うもの」、歌集「農に生きて」等を自費出版していました。これから書斎を整理しながら、ゆっくり祖父の人となりを探って行きたいと思います。
祖父の名に恥じないように私も頑張らなくては!
by kkochan-com | 2006-01-12 22:34
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