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浦項市・雪岳山(ソラクサン)訪問記

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<後方の双耳峰が雪岳山>
連休は福山山岳会創立90周年記念登山として山岳会員40名の団体で韓国に行ってきました。
福山の友好親善都市・浦項市を訪問し、韓国の名峰「雪岳山」(ソラクサン・1708m)の前衛峰(1320m)に登りました。 鋭い岩峰が林立する韓国で一番人気のある山だそうです。
登山口は標高200mほどなので、標高差1100mの登りはかなり厳しく、スケジュールの関係で時間内に登頂できたのは私を含めて4人しかいませんでした。

ソラクサンは多くの登山者で溢れており、若い人が多いことが日本との違いです。特に最新の登山ウエアで身を包み、颯爽と歩く若い男性の姿はカッコいい!中身は負けていないと思いながらも、韓国の将来は明るいと感じました。同行したガイドによれば、韓国の若い男性が元気な理由は「徴兵制」にあるそうです。兵役により心身ともに鍛えられ、よりエネルギッシュになって社会に出るそうです。

山も素晴らしかったのですが、初めて韓国に行って随分と韓国を見直しました。
まず、高速艇で着いた釜山の港の雰囲気ですが、横浜に負けるとも劣らぬ発展ぶりです。そして郊外に出るとどこまでも黄金色の稲穂が揺れており、農業に力を入れている事が一目瞭然でした。里山もよく手入れがされており、主に松が植林されているので花粉症も少ない様子です。
走っている車は韓国製ばかり、たまに三菱車かと思いきやヒュンダイのコピー車だったりする。これも国策でしょうか?
食事は鉄の箸、割りばしの無駄がありません。
辛い料理も3日目には慣れて美味しくいただきました。

福山の友好親善都市・浦項市を訪問しました。
市役所を表敬訪問したり、戦前の日本人村「九竜浦」の日本家屋のある通りや、浦項の台所「竹島市場」を訪問しました。
また、浦項は韓国の最東端に位置し、手のひらをかたどったオブジェがある虎尾串広場(ホミゴグァンジャン)が有名です。韓国半島部の最東端に位置し日の出が美しいことから朝鮮十景のひとつにも数えられているそうです。

同市は李明博大統領(イ・ミョンバク)の地元でもあります。韓国鉄鋼最大手ポスコの「城下町」として発展してきましたが、積極的な観光開発で鉄の街のイメージから脱却を図っているそうです。
大統領故郷村「徳実村」は、日本の大阪で生まれた李明博大統領が終戦と同時に帰国し、浦項に引っ越す前に5歳から3~4年間住んでいた場所で、貧しかったため幼少期から母親を手伝って果物行商をしたり、大判焼きやポン菓子を売ったりしながら、困難な環境の中でも全校2位の成績だったそうです。
その後、37歳で「現代建設」の代表取締役になってサラリーマンの神話を作り上げ、ソウル市長から大統領になった李明博氏を育てた場所を訪問しました。
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by kkochan-com | 2009-10-12 19:14 | Trackback | Comments(0)

マウイ訪問記

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                                                「タヴァレス郡長と」
昨年、福山市とハワイ州マウイ郡は親善友好都市提携を結びましたが、私は9月29日より6日間の日程で親善訪問団の一員としてマウイを訪問してきました。議員になって6年目で初の海外視察であり、開原副市長を団長とする訪問団には13名の高校生も含まれ、随分と賑やかな団体となりました。
福山駅でサンピアの入札において福山市は落札できなかった旨のニュースが入りました。最低応札価格が12億円に対して福山市は15億円余、落札企業は22億円余だったそうです。残念ですが、今後は落札企業の開発計画を見守るしかありません。

さて、訪問初日はホノルルで飛行機を乗り換えて30分でマウイ島に到着し、さっそくタヴァレス郡長を表敬訪問しました。タヴァレス氏は女性郡長であり、一緒に福山・マウイの交流記念碑の除幕式を行いました。夜は現地の世話役ステファニーさん宅で歓迎夕食会が開かれ、心づくしの手料理をいただきました。

2日目はマウイの産業視察を行い、マウイの農業の大半を占めるサトウキビから作る砂糖工場と隣接する「SUGAR MUSEUM」、老人ホーム「KAUNOA Senior Services」、100年前に日本人移民が開拓した「ハシモト柿農園」、観光ラベンダー園、野菜の産直市等を見て回りました。1900年初頭から移民した日本人の苦労が偲ばれると共に、現在後を継いでいる3世・4世の方と交流を深めることができました。

ここで日本から鞆の裁判の判決のニュースが入りました。
広島地裁は「鞆の景観は文化的、歴史的価値があり、国民の財産というべき公益で、事業が及ぼす影響は重大。埋め立て架橋計画は合理性を欠いている」として、埋め立て免許の差し止めを命じました。しかし、この判決で鞆のまちづくりの問題が解決するわけではなく、新たなスタートと言えます。まず、長年にわたり「橋YES・NO」の議論から生じた住民間の軋轢を解消し、住民一体となってのまちづくりの議論が必要だと考えます。

3日目の午前3時からマウイ島最高峰のハレヤカラ山(3055m)に車で登りました。頂上では手を伸ばせば届くような所に星がきらめき、何百人という観光客が寒さに耐えながら日の出を待っていました。太平洋から昇る朝日は頂上台地にある噴火口のクレーターのシルエットを浮かび上がらせ、幻想的な雰囲気を演出しました。頂上の荒涼とした風景は、あの名作「2001年宇宙の旅」のロケ地にもなったそうです。下りはレンタサイクルによるダウンヒルツアーも行われており、爽快感満点でした。
午後はマウイ郡最大のイベント「マウイ・カウンティフェア」のパレードに参加し、精一杯福山市のアピールをしてまいりました。私は沿道に並ぶ人たちに娘が折り紙で折った「手裏剣」をプレゼントしながら歩きました。
フェアではマウイ伝統の先住民ポリネシアンの祈りやダンスも披露され、伝統文化を大切に継承している様子がうかがえました。

4日目の最終日は、郡議会を訪問しました。17万人のマウイ郡には8名の議員しかおらず、任期2年で最長5期10年までという多選制限があります。(郡長は2期8年まで)日本でも議員定数削減が話題になりますが、多選の制限の方が「ボス議員」の存在を許さず意味深いかもしれません。ミハエル・ビクトリノ議員やダニー・マテオ議長と意見交換をし、様々な「住民に開かれた議会」の取り組みを勉強する事ができました。
夜はお別れ会「アロハパーティー」が開催され、私は隣に座られたビクター・リエズ経済開発部エネルギー委員と懇談し、マウイの自然エネルギー(風力・太陽光)への取り組みを教わりました。パーティーは様々なアトラクションが飛び出し、特に日本人高校生による合唱は秀逸でした。最初は「大丈夫かな?」と感じた子供達でしたが、気付けば主役に躍り出ており、すっかり見直しました。私も少しだけ英語でスピーチさせていただき、ジョークも通じてうれしかったです。
マウイの皆様の温かいおもてなしを受け、短期間の訪問でしたが非常に内容の濃い交流が図れ、開原団長をはじめ参加者全員が手応えを感じた様子です。

全日程を通じて自由時間は少なく、マウイに行きながら念願のビーチで泳ぐことはかないませんでしたが、朝5時に起きてホテル近くのビーチを裸足で走りました。ゴミ一つ落ちておらず、裸足でもまったく問題無いのです。なぜならマウイの最大の産業は「観光」であり、その資源である美しい環境を守ることを全住民が理解しているのでしょう。マウイではサーフィン、ダイビング、シュノーケリング、シーカヤック、ヨット、ゴルフ、乗馬、自転車等、あらゆるアウトドアアクティビティを体験することができます。今後の交流を通じて日本の子供達にどんどん経験させてやりたいと感じました。
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by kkochan-com | 2009-10-08 18:22 | Trackback | Comments(0)