<   2010年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

改革派首長による新党結成

日本創新党が結成されました!
立党宣言はこちらです。
http://www.nippon-soushin.jp/about/declaration.html
地方自治体の長(市長・県知事等)として実力と実績のある方が設立されています。
地方議員である私も大いに共感できる指針が示されています。

日本創新党のサポーターとして「日本志民会議」があり、「政治家をあてにしていたのでは日本の政治はますます悪くなる。私たち国民の手で、政治をかえてみせようではないか」という呼びかけで結成されています、私も志ある「志民」として登録しました。
年会費3600円が必要ですが、ぜひ一緒に「志民登録」をしましょう!!
http://www.yoikuni-shimin.jp/message.shtml
[PR]
by kkochan-com | 2010-04-20 22:19 | Trackback | Comments(0)

緑町公園リレーマラソン

c0060075_8392448.jpg

11日に第5回緑町公園リレーマラソンが開催されました。
そもそもは私の発案で始まった大会ですが、年々参加者が増え、エントリーが遅いチームは遠慮していただくほどの人気大会に成長しました。
今回は過去最多の35チーム、467人の選手が参加され、3時間にわたり熱いリレーが繰り広げられました。
中には往年の名選手や現役選手もおられました。「エネルギアと愉快な仲間たち」チームには世羅高校から早稲田、中国電力に入られた空山隆児選手、同じく中国電力所属で北京マラソン3位入賞の沖野剛久選手、「鞆の浦ランDEブー」チームには昨年の箱根駅伝の青山学院大学6区(山下り)を走った岡崎淳也選手が参加しており、一流選手の胸を借りながら市民ランナーも健闘されていました。
このように市民の健康増進と競技力のアップという一石二鳥の効果のあるリレーマラソンであり、準備と運営に努力してくださった福山市民走ろう会の皆様に感謝申し上げます。
優勝は神村体育振興会Aによる2時間13分58秒で、私が参加した脳神経センター大田記念病院チームは3時間1分の26位でした。
そして閉会後は楽しい打ち上げです。ランDEブーと大田記念病院チームの集合写真です。
c0060075_859101.jpg

[PR]
by kkochan-com | 2010-04-13 08:59 | Trackback | Comments(0)

東京見物

子供の春休みに家族で東京に行ってきました。
亀井静香事務所の秘書の方に国会議事堂を案内していただきましたが、内部はまるで美術館のようで、最初は関心の薄かった子供たちも興味津津でした。子供にとっては、議事堂の中のトイレを使ったり食堂でメロンソーダを飲んだこと、それぞれが思い出深い出来事となったでしょう。議事堂正面で写真を撮ったあと、ちょうど鳩山総理一行の車列が入ってきました。総理が動けば約50人が一緒に動くそうで、大変厳重な警備態勢となっています。
c0060075_8161960.jpg


つづいて靖国神社に参拝しました。
本殿に昇殿させていただき、家族で玉串を捧げました。
広島県に住む私たちが原爆ドームに参拝するのと同様に靖国神社にも参拝するべきだと私は考えています。原爆で亡くなられた方も、戦地で亡くなられた方も、同じ戦争の犠牲者であり、同様に手厚く弔うべきではないでしょうか。(株)日本設計・池田武邦名誉会長(巡洋艦・矢矧の生き残り)は次のように述べておられます。
------------------------------------------------------------------
戦後、日本が平和を取り戻し、経済復興もようやく軌道に乗り始めた1960年代に入った或る日、小学校2年生になる息子が帰ってきた。たまたま、出張から帰り家にくつろいでいた私を見つけて、いきなり「お父さんは何故戦争になんか征ったの。」と詰問してきた。学校の先生から戦争は悪いことと教えられ、戦時中に軍人だった父親は悪いことに加担した人間という風に幼い子供心に植えつけられたようである。これは敗戦後の日本社会にある風潮の一側面を如実に語っている。

自らを育んだ祖国、日本という共同体の為に自らの生命を捧げる決意のもとに戦場で散った戦死者は、もはや何も語らない。彼らの死は一体何であったのか。戦後永く私の心にわだかまり続けている問いかけである。

戦後、敗戦国日本の社会はGHQ(連合国最高司令官総司令部)による厳しい情報管理下におかれていた。新聞をはじめ、あらゆる出版物は占領下で検閲を受け、その許可がなければ出版は許されなかった。学校教育も例外ではなかった。小学校の教科書はGHQの意向を汲んだ文部省の指示によって不都合な箇所はすべて墨で消されて使用された。

日本から民主主義をおびやかす危険なナショナリズムや軍国主義思想を一掃するために、それ等を助長することに利用されたと思われる日本の伝統的しきたりや文化的思想の多くが彼らの一方的判断で、公の行事から追放され抹殺の対象にされた。

国家総動員法という法律のもと、総力戦で戦った戦争の歴史的事実、実体というものを直視するという、内面的苦悩を伴う作業を経ずして、日本国民は戦後、国として驚く程の従順さをもってGHQのこれら民主主義、自由平等をうたった占領政策を受け入れたのである。

その後、1952年9月8日、サンフランシスコに於いて、日本を含む52カ国が出席して対日講和条約の調印が行われ、日本は占領政策から開放され、国際社会への復帰を果たした。しかし、その時点でも、大部分の日本国民はその日の生活に追われ、新しい国づくりのために過去の歴史を直視するということはなおざりにしたまま、明日の経済を追い求めることに走ってしまった。国も、文化人もジャーナリストも一部の例外を除いて苦悩の伴う重要な作業は避けて通ってしまった。

日本国という共同体は、その共同体のために犠牲となって死んだ人々に対して、心から向き合い、深く弔うという、過去の歴史ではあらゆる民族がごく自然に行ってきた人としての作法を、ないがしろにしたまま今日に到った。そして、このような死を弔う心を失った共同体は同時に、この戦争によって中国をはじめ、アジア各国に対し途方もない戦禍を及ぼし、その人々の心を傷つけてきたという事実を直視することを避け、自らの経済的繁栄をのみ求めていると見られても止むを得ない今日の姿を生み出している。

戦後、私が抱き続けてきた心のわだかまりの根も、この日本という共同体の敗戦後の姿にある。総力戦の末、力尽きて敗戦という、かつて何千年の間経験したことのない歴史的事実に直面し、極度の混乱の中で一時的に本来の姿を見失うことがあったとしても、それは止むを得ないかもしれない。しかし、それから半世紀以上、ずっと平和を享受し、経済も波はあったにせよ、戦争時代とは比較にならない程今日の社会は安定している。それにも拘わらず、自らの帰属する共同体がどのように、何故に総力を挙げて戦い、そして敗れたのかという歴史的事実を直視する苦悩を今なお避け続け、あたかも他人事の如く死者を置き去りにしたままである。

このような状態が続く限り、来るべき新しい世紀に対して、自らの文化に誇りをもった道を創造することも、又国際社会で真の信頼を得ることも不可能であろう。
------------------------------------------------------------------------
池田さんの言われるように、私たちは祖国のために戦った戦死者を置き去りにすることにより、未だ戦後の清算ができていないと感じています。
c0060075_8272420.jpg


参拝後は遊蹴館という資料館を見学し、約2時間をかけて明治維新から大東亜戦争に至るまでの戦争の歴史を子供に教えて回りました。戦争を肯定するわけではなく、歴史の事実として教えたつもりです。
靖国神社を後にして桜が満開の千鳥ヶ淵へ行き、戦没者墓苑を参拝しました。ここには引き取り手の無い約35万柱の遺骨が眠っています。
c0060075_8351183.jpg

[PR]
by kkochan-com | 2010-04-04 08:07 | Trackback | Comments(0)