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タクロバンからのお客様

さる10月19日のタクロバン市と福山市の友好親善都市提携30周年の記念日には、教育委員会の計らいにより市内の小学校の給食メニューはフィリピン料理となりました。粋な計らいに感謝するものです。
さて、これから年末にかけてタクロバンから様々なお客様が来日される予定です。11月27日から30日にかけてタクロバン市の市議会議員6名と随行の市職員2名が来られる予定ですが、一行の中には市長夫人のクリスティーナ・ロマルデス議員もおられます。市長夫人は元々フィリピンでは知らない人はいないというほど有名な女優さんだそうです。いずれにせよタクロバン市の要人が公式に福山市を訪問されるのは30年来初めての事であり、タクロバン福山交流支援センターとしても様々なおもてなしを検討しています。
まず滞在中に緑町の41連隊跡地に商業施設「ココローズ」が開店する予定であり、両市交流発祥の地として記念植樹を計画しています。他にも市長・議長の表敬訪問、両市の市議会議員同士による交流会、市内施設の行政視察及び技術交流等を予定しています。30年の空白を埋め、両市の互恵的な発展に繋がる有意義な訪問となることを期待したいものです。

11月28日(日)
9時、アルセ発・鞆町観光(対潮楼、歴史民俗資料館、常夜灯、太田家住宅等見学)
昼食:駅周辺にて
13時、福山城見学
14時30分、リーデンローズにて館長挨拶、テレマン室内オーケストラ鑑賞
16時30分、カトリック福山教会(昭和町)のミサに参加し福山在住フィリピン人と交流
17時30分、義倉にて「お茶」の接待
18時、オリエンタルホテルにチェックイン
19時、1Fレストラン「モンローズ」にて歓迎晩餐会

11月29日(月)
8時半、ホテル発、徒歩にて市役所へ
9時、議長・副議長表敬訪問
9時半、市長表敬訪問
10時15分、市政記者クラブにて記者会見
11時、市内視察へ出発
11時半、光小学校訪問
13時、水道局視察
15時30分、商工会議所訪問
18時、三菱電機「せとうち」にて懇親会(タクロバン福山交流支援センター会員と)
20時、ホテル帰着

11月30日(火)
8時半、ホテル発
9時、緑町ココローズにて「交流発祥の地」記念植樹
9時30分、市役所着
10時、市議会本会議傍聴
11時、脳神経センター大田記念病院を見学
14時、福山発
16時30分、関空着
19時、関空発(セブパシフィックにて帰国)
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by kkochan-com | 2010-11-20 12:37 | Trackback | Comments(0)

グリーンライン駅伝・誕生秘話

今年で7回目を迎えた駅伝ですが、その開催目的には市会議員として福山の駅伝を活性化したいという思いがありました。それまで毎年参加していた「福山駅伝」の低調振りはお隣の沼隈駅伝等と比較すると恥ずかしいほどでした。人口46万人のまちの駅伝が1万2千人のまちの駅伝より寂しいとはどういうことでしょう。その理由は福山駅伝のコースの単調さと「スター式」という中継点を集約する運営方式にあり、そうなった原因はひとえに交通規制の問題がありました。しかもあの盛り上がっていた沼隈駅伝は合併により消滅してしまったのです。そこで、新たなコースで駅伝を開催し福山市を盛り上げたい、市内で最も交通規制において問題の無い道路はどこか、それはおそらくグリーンラインであろうと目星を付けたのです。議員になって1年目の年に「NPO法人グリーンラインを愛する会」の丸山理事長や駅伝チーム「鞆の浦RUN DE ブー」のメンバーにグリーンライン駅伝の構想を相談したところ、とんとん拍子に「やろう!」という事になりました。
しかし、実際問題どうやって許可を取るのか、何を準備するのか、誰に広報するのか、どうやって運営するのか皆目見当がつかない状態でした。まずコース設定においては地図を片手に車で何度も現地に行き、独断で中継点や折り返し点を決めました。それを基に西署の交通課長さんに相談に行ったところ、大変話のわかる方であっさりOKが出たのです。あの課長さんがいたから開催できたと言っても過言ではありません。それからゼッケンや襷を「ウエスギ」に注文したり、案内表示を看板屋に注文したりといった初期投資はすべて私が負担しました。また成績集計表はエクセルで迅速にできるよう工夫し、最終ランナーゴール後すぐに閉会式ができるようにしました。その他、参加募集案内の発送、道路使用許可、先導車の依頼、賞品の用意、プログラム作成、ゼッケンのアイロンかけ、保険の契約等の事前準備はすべて私一人(+家内)でやっています。ただし当日の運営は多くの仲間にお願いしており、スタートのピストルを撃てば私の仕事はほぼ終了です。ということで、この駅伝は私がこけたら成り立ちません。皆様、末永くご支援をよろしくお願いします。
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by kkochan-com | 2010-11-07 17:06 | Trackback | Comments(0)

マッカーサーの占領政策

先日、9月20日にお亡くなりになった東林館高等学校の喜田三津雄先生のお別れ会に参加させていただきました。
献花の後、生前の先生の講演会のDVDを観ましたが、先生の講演は何度聴いても面白おかしく涙が出ました。
興味深い話も多々あり、中でも先生がハワイに学校を作る際に出会った「亀仙人」こと96歳のご老人とのエピソードには思わず身を乗り出しました。

戦時中、ハワイの日系人は全員収容所に隔離されるか若者は米軍に志願して戦場に向かいました。
終戦も近い頃、マッカーサーが収容所にやって来て、収容所の代表であった亀仙人に「どうやったら日本人を弱体化できるか教えてくれ」と言ったそうです。というのも、この戦争は連合国が勝つのはもう間違いないが、将来日本が復興して再度アメリカに歯向かわないようにしたいという意味だったそうです。

そして亀仙人は喜田先生にある小冊子を見せました。
そのタイトルは直訳すると「日本骨抜き計画」です。
①日本に本当の民主主義を教えてはならない。
権利・自由・多数決は教えても、義務・責任・個の尊重は教えてはいけない。
②天皇を殺してはいけない。
天皇を殺すと後追い自殺する日本人が多数出るうえに占領軍に対する反乱が起こるであろう。ゆえに天皇は生かさず殺さずとする。
(中略)
③その他、この計画を実行すれば100年後には日本は弱体化しているはずである。

65年でまったくその通りになっているではありませんか?

マッカーサーがなぜ日本人をそれほど恐れたのか、調べると福山と少なからぬ因縁があることがわかりました。

まず、開戦時にフィリピンからマッカーサーを追い払ったのは福山歩兵第141連隊を含む奈良兵団であり、マッカーサーは「I shall return」の台詞を残してオーストラリアに落ちのびました。
オーストラリアで再起を図るマッカーサーに追い打ちをかけようとしたのが、福山歩兵第41連隊を含む南海支隊であり、東部ニューギニア戦線にて大激戦を繰り広げています。
そしてフィリピンのレイテ島に戻ってきたマッカーサーに対する援軍に派遣されたのが、ニューギニアでマッカーサー率いる米豪連合軍に壊滅的な打撃を受けた後に再編成された福山41連隊だったのです。
マッカーサーの前に立ちはだかる日本兵の中に常に福山の兵士がいたと言っても過言ではありません。
そしてマッカーサーは回想録で日本兵がいかに勇敢であったかを度々述べています。

戦後、GHQの最高司令官として厚木の飛行場に降り立ったマッカーサーは矢継ぎ早に以下の指令を出しました。日本を骨抜きにするための指令であったとも言えるかもしれません。

S20.8.30マッカーサー元帥、厚木到着
9.11 戦犯容疑者逮捕を指令
10.4 治安維持法廃止、政治犯釈放
10.10 徳田球一ら政治犯3千人出獄
10.11 五大改革指令(男女同権、労働者団結権、教育自由化、専制の廃止、経済民主化)憲法改正示唆
12.9 農地改革指令
12.15 国家と神道の分離指令
12.31 修身、日本歴史地理の授業停止指令
S21.1.4 公職追放超国家主義団体の解散指令
1.24 公娼制廃止指令
2.13 憲法改正の松本案拒否、総司令部案交付
4.7 国語改革、ローマ字採用を勧告
5.3 極東軍事裁判開廷
6.13 占領目的阻害行為処罰令公布
11.3 日本国憲法公布
S22.1.4 公職追放令改正
1.31 ゼネスト中止を命令
2.11 供米に強権発動を指令
3.31 第1回農地買収、教育基本法、学校教育法公布
4.1  6・3制実施
5.3 日本国憲法発布
12.17 警察法公布(地方分権・民主化)
12.22 改正民法公布(「家」制度廃止)
12.31 内務省解体

私の今後の取り組みとして、今まで闇に葬られていた福山出身兵士の戦いに光を当てることにより、マッカーサーの「日本人骨抜き計画」との関連を明らかにし、戦後の歴史教育の見直しに繋げたいと考えています。それが日本再生の第一歩なのではないでしょうか。
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by kkochan-com | 2010-11-01 11:53 | Trackback | Comments(0)