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ニューギニアにおける福山歩兵第41連隊の戦い

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                                          西村幸吉さんと「ココダの約束」 
「ジャワの極楽 ビルマの地獄 死んでも帰れぬニューギニア」。昭和17年3月に始まった東部ニューギニア戦の厳しさはこう例えられ、先の大戦でも最も激烈な戦場の一つに数えられています。厚生労働省によると推定計16万人の兵士が投入され、12万7600人が死亡。マラリアや赤痢、飢餓による死者が大半を占めたそうです。そして、死者の6割にあたる7万8千人の遺骨が、今も残されたままになっています。
 高知144連隊を基幹とする(福山歩兵第41連隊を含む)南海支隊は、ココダから4000m級の山が連なるオーエンスタンレー山脈を越えて、豪州の拠点・ポートモレスビーに進攻しました。20日分の食料と弾薬を背負い、激しい戦闘を繰り返しながらポートモレスビーと指呼の間まで達しましたが、補給が続かず無念の撤退となりました。最終的には上陸地点に押し戻され、約50日間、戦友の屍を盾にしながら地獄の戦場で戦ったのです。
 このルート「ココダトレイル」は今では豪州人のトレッキングのメッカとして人気です。豪州人ガイドのウエイン・ウェザーロールさんは「戦争は国同士が行ったのであって、兵士は国から強制的に派遣されてきただけだ」と理解を示しています。彼は、日本人の慰霊巡拝にも同行し、各地で祈りをささげる日本人の姿に心を打たれたそうです。「彼らは国のために戦ったヒーロー。家族の待つ日本に帰らないといけない」。ウェザーロールさんは、今も帰郷がかなわない旧日本兵に心を寄せています。
 また、豪州人ジャーナリストのチャールズ・ハペルさんは、南海支隊の生き残りの兵士・西村幸吉さん(91)の生涯にスポットを当てた「ココダの約束」という本を書いています。高知144連隊の西村さんは42人の部隊で41人が戦死し、ただ一人の生還者となりました。生き伸びるためには敵兵の人肉まで食べ、そして敵が迫ってくるなか、自力で脱出できない負傷兵には自決用の手榴弾が渡されました。西村さんは彼らに「もしお前たちがここで死ぬようなことがあっても、俺が必ず骨を拾って家族に届けてやる」と約束したのです。そして戦後ニューギニアに渡り、私財を投げ打って26年間遺骨を掘り続けたのです。「あの兵士たちは地獄に放り込まれて死んだんですよ。自分の状況を彼らと比べたら、骨を掘って26年間を暮らしたなんてなんでもない、死んだ彼らを思えば、これくらいして当然です」と話しています。
 皆さんはニューギニアでこのような戦いがあったことをほとんどご存知無いと思います。それは大変罪なことではないでしょうか?あの戦争で多くの将兵が死んだ、その犠牲の上に現在の日本の発展と平和があることを知らなければならないと思います。私は7月に西村さんと一緒にニューギニアに慰霊の旅に行く予定です。

チャールズ・ハペルさんの原著「THE BONE MAN OF KOKODA」を日本人訳者は「気骨の日本人」としています。
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by kkochan-com | 2011-05-18 16:19 | Trackback | Comments(0)

第2回自治創造学会

第2回自治創造学会にて河村名古屋市長の講演を聴きました。
河村市長の持論は「議員はボランティア」であり、以下に講演の概要を紹介します。

 戦後、GHQ総司令官のマッカーサーは、戦前の日本のような軍部の暴走を防ぐには、議会の権能を高めないといけないと考えた。しかし、戦後の焼け野原において、議員になるべく優秀な人材を確保するためには議員報酬を高めに設定する必要があるとマッカーサーは考え、国会法35条において「議員は、一般職の国家公務員の最高の給与額(地域手当等の手当を除く)より少なくない歳費を受ける。」と定め過分な報酬を約束した。同じく36条で「議員は、別に定めるところにより、退職金を受けることができる。」と定め、退職金を確保した。この規定が地方議員にも波及し、議員が稼業化する原因となっている。戦後復興もとうの昔に終わったので、そろそろ議員のボランティア化に舵を切る時期ではないかと考える。なぜなら、現状のように納税者より高い報酬と退職金が支給されるような議員は、世界中を探しても他に例を見ない。私自身も大卒60歳の平均年収を参考に自身の年俸を800万円に引き下げ、退職金を廃止した。これにより4年間の任期で約1億2000万円を削減することができるが、裏返せば「もったいない」「惜しい」という気もする。しかし、やせ我慢と言われようと何より「いい気分」だ。
 良い政治とは、より良い公共サービスをより安価に提供することであるが、日本の政治には「価格競争」がない。税金を下げるということが、政治における価格競争のはずだ。議員は納税者側の代表であるにもかかわらず、私の公約「市民税10%減税」を否決してしまった。それは減税を掲げて当選した私に対する民意を踏みにじることにならないか。これでは二元代表制どころか、議会の一元代表制である。であるなら、地方議会も国会と同様に議員内閣制にした方が良いのではないか。

 講演を聞いた参加者(半数以上は地方議員)の多くは賛成しかねるような反応をされていましたが、私は「もっともだ」と感じました。私はよく頑張っている(報酬は活動に見合う額)という議員もいらっしゃるでしょうし、あまり報酬を下げると議員になり手がいなくなるという意見もあるでしょう。また、地方議員の責務は広く大きく、片手間ではできない、専業でないと議会のチェック機能を果たせないという意見もあるでしょう。しかし、先の名古屋の市議会議員選挙を見ればわかるように、議員はボランティアであるべしという考え方は全国に波及するものと予測されます。もはや民意は止められないように感じています。
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by kkochan-com | 2011-05-18 16:04 | Trackback | Comments(0)

陸前高田市の支援・第2弾

ゴールデンウィークに陸前高田市の支援・第2弾を届けてまいりました。
私が子供たちの自然体験教室に使用していたキャンピングカー(トヨタ・ハイエースH8年式)に、皆様からの寄付金で購入した拡声器と愛用の自転車(マウンテンバイク)を積み、前回同様の敦賀→秋田フェリーを利用して行きました。
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拡声器は避難誘導用に学校と消防団へ、自転車は野球部の練習に通う高校生へ、写真の菅野市議を通じて渡していただきました。

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キャンピングカーは被災したお年寄りを収容する「福祉避難所・炭の家」の送迎車として佐竹市議を通じて寄付し、私は全通した東北新幹線で帰ってきました。

陸前高田市は2週間前と比較して随分瓦礫の撤去が進んでいました。
しかし、まだまだ多くの犠牲者が瓦礫の下に埋まっており、発見された遺体の安置所は猛烈な異臭を放つ「この世の地獄」だそうです。
復興のシンボル、高田松原に7万本あった松で唯一残った「ど根性松」です。
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すぐ近くに陸前高田ユースホステルがありましたが、地盤沈下により海の中になっていました。
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被災前のユースホステル

★光る自衛隊の奮闘
陸前高田第一中学校を学校の先生に案内していただきました。
校舎1階は赤十字による仮設診療所、体育館は避難所、特別教室(家庭科等)は支援本部となっており、校庭にはすべて仮設住宅が建設される予定です。
被災者の給水には自衛隊の給水車、炊き出しは「野外炊具1号」が使われていました。炊飯なら600人分、主食・副食・汁の同時調理なら200人分、汁物のみなら1500人分もの調理能力があるそうです。
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水道は依然断水中のため、自衛隊の仮設浴場「野外入浴セット」を被災者はもちろん、家屋の被害を免れた方も多数利用していました。
自衛隊員の入浴は最後ということで、10日間も入浴できなかった隊員もおられたそうです。
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仮設市役所の近郊に自衛隊の巨大テント村ができており、1000人以上の隊員が瓦礫撤去や遺体の捜索に従事されていました。
喩が悪いかもしれませんが、実戦さながらの災害支援となっており、自衛隊の錬度は相当上がったことでしょう。
また、自衛隊に対する被災者からの信頼や感謝の念は日増しに高まっているそうです。

★避難所の様子
体育館の中は住んでいた地区別に区分けされ、郵便も届くようになっていましたし、インターネットも使えました。(1人10分まで)
中学生は被災者優先の学校内の隙間を利用して勉強や運動をしており、クラブ活動は卓球部は廊下を利用、野球等は隣の町のグランドまで行くそうです。
特にGW中は様々なボランティアの訪問があり、楽しい雰囲気となっていたのが印象的でした。

★支援物資
陸前高田第1中学校では物資の受け入れを中止していました。
衣食住の「衣・食」については十分足りている様子です。
避難所の方は住(仮設住宅)が整うまでは、物資をもらっても置き場が無いのが現状だそうです。
それでも全国から物資が届いていましたが、受け取る方は住宅の被害が無かった方も多く問題になっているそうです。
いずれにせよ「これが欲しい」と言われる方に直接お渡しすることが有効です。
また、一番ありがたいものは「お金」だそうです。

陸前高田市の隣の大船渡市にも行きましたが、死者・行方不明者は300人と陸前高田と比較して少なかったのは不幸中の幸いでした。写真の橋の欄干が根元から折れ、恐るべき津波のパワーを感じさせました。
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★今後の支援について
避難所に対する緊急支援が必要な時期は終わり、現在は安定期に入っています。
仮設住宅に移住後に必要なものは耐久消費財(車・家電製品)や娯楽品・嗜好品と考えられます。
また、被災地の生産活動(漁業や製造業)が再開すれば、その産物を買うことが支援になります。
陸前高田市には「八木澤商店」という醤油屋さんがありますが、まちを代表するお店であり復興のシンボルとなると考えています。
http://www.yagisawa-s.co.jp/ (津波がお店を襲う写真が掲載されています)
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私が参加する「もやい」というネットワークでは、すでにお中元用の醤油5000円パックの(仮)注文を100口以上集めていますので、ご希望の方は私にご連絡下さい。ただし、お中元の時期までに生産再開が間に合わない可能性もあります。
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by kkochan-com | 2011-05-09 20:39 | Trackback | Comments(2)