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麦秋とぶどう

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麦秋(ばくしゅう)麦の穂が黄金色に実り、まるで秋のようです。
ここ福山市最北端の町・山野町で「山野里山クラブ」の皆さんと19日(日)に麦刈りをします。
バックに見えるのは山野小学校と中学校ですが、小学校の児童は11人、中学校も13人しかいません。しかし、教育内容は素晴らしく、地域の歴史や伝統も立派に受け継いでいます。

また、前日の18日の夜は「山野ホタル祭り」が山野農村公園で開催されます。
祭りに参加した後は、私の隠れ家「ゆうすけ山荘」のかまどでご飯を炊き、猪肉BBQをする予定です。寝袋を持参されれば泊まれますし、お風呂は五右衛門風呂です!
参加したい方はお気軽にメールを下さい。

さて、今年の春は山荘前の休耕田にぶどうの苗を50本も植えました。
品種はキャンベルという種類で、食べると昔懐かしい味がします。
近い将来ぶどう狩りができるようになると思いますので、ご期待下さい!
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by kkochan-com | 2011-06-12 19:55 | Trackback | Comments(0)

ミスター41連隊・正岡隆大尉

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                        <正岡大尉の妹・桑江瑞枝さんと>
開戦後、福山歩兵第41連隊は大別して3つの作戦(マレー戦、東部ニューギニア戦、レイテ戦)に参加しましたが、第2大隊長の正岡隆大尉はそのすべてに従軍した稀な人です。戦死・戦傷により部隊を離れることはもちろんですが、兵士は召集解除や補充(途中参加)、将校にも転属等の移動があるので、先の大戦3年半の間を41連隊で通した方はごく少数でした。
正岡大尉の足跡は41連隊の足跡そのものと言えるでしょう。即ち中国地方の精鋭・5師団の一員としてマレー戦の主力を務め、幾多の激戦を経てシンガポールを攻略後はミンダナオ島の平定作戦に従事、高知144連隊を基幹とする南海支隊に編入されポートモレスビー攻略戦に参加し、作戦中止後は辛酸を極めたスタンレー山脈を越え、ギルワ陣地の殲滅戦を耐えてラバウルに集結(残存将兵約200名)ラバウルより復員後は朝鮮の平壌において30師団に編成替えとなり、19年に再びミンダナオ島に進出、その後レイテに転戦して玉砕しました。

正岡大尉は日本スリーエム(株)の小坂会長(私の同級生の父)の陸軍士官学校同期生であったので、遺族(妹)である桑江瑞枝さんをご紹介いただきました。今治国際ホテルでお会いし、正岡大尉についてお話を伺うことができました。平壌時代に母校の今治中学で講演をされたそうですが、聞いた人曰く「今思えば、とても23歳の若者の話とは思えない」ほど、堂々とした講演だったそうです。桑江さんは昭和51年にレイテ慰霊の旅に参加したそうですが、唯一人の生存者・佐々木寛平大尉より、夕暮れの激戦地トンガ川河畔にて一人物思いに沈む正岡大尉の姿が印象的であったと聞かされたそうです。トンガにおける米軍との遭遇戦により41連隊の兵力は半減し、これまでの激戦を振り返り、41連隊の行く末を案じていたのかもしれません。
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by kkochan-com | 2011-06-08 19:10 | Trackback | Comments(0)