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タクロバン市視察報告

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 親善友好都市タクロバン市に平成25年12月24日から27日までの4日間現地に滞在し、台風被害後のインフラ復旧の状況や各種団体による支援活動、被災地住民の生活実態、タクロバン市行政の取り組み等を視察してきましたので、報告致します。
 平成25年11月8日に観測史上最大規模の台風「ヨランダ」により約8千人の死者・行方不明者を出したフィリピンのレイテ島タクロバン市は、昭和55年10月19日に福山市と親善友好都市提携を行いました。その後33年間、行政間の交流はありませんでしたが、今回の被害によりタクロバン市は世界的に有名な町となりました。そのタクロバン市の唯一の親善友好都市が福山市であり、福山市がどのような支援をするのか、多くの市民やマスコミが注目したように感じます。今回の視察はその支援の成果を確認するという目的もありました。
 私は被災45日目に現地入りしましたが、東日本大震災の際に陸前高田市を40日目に訪問した時と同じ光景が広がっていた事にまず驚きました。タクロバンの「ダニエル・Z・ロマルデス空港」は海岸沿いにあり、空港ターミナルや管制塔は全壊しましたが、現在、管制塔だけは復旧しており、通常の旅客機が発着できる体制となっていました。
 空港内には「尋ね人」のチラシが多く貼られており、一歩外に出ると多くのストリートチルドレンが寄ってきて、小銭をせびる状況は今までに無かったことです。空港からダウンタウンまでの「サンノゼ」が最も犠牲者が多かった地域であり、ユニセフによるテント村が形成されていました。しかし現地は雨季で、晴れれば暑く、地面に設営する風通しの悪いテントは不向きの様子でした。そこで、福山市及び市議会からの寄附金により「蚊帳」186張りを購入して寄附したので、急ピッチで建設されている高床式の仮設住宅等において活用されることと思われます。
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 24日午前、これまで3日間にわたりタクロバン周辺で診療を行ってきたAMDAのメンバーと会合し、状況報告を受けました。石根医師や村上看護師(ともに大田記念病院)によれば、「元々医療過疎の地域であり、台風による病院の機能停止や医薬品不足により、どこに診療所を開設しても多くの住民が集まった」との事でした。タクロバン市には各種の医療チームが入っていたので、サマール島等の周辺地域を重点的に回ったそうです。
 今回の被害にについて、住民から「ツナミ」という言葉が頻繁に聞かれ、台風により高潮が襲来するという事はまったく想定外であったそうです。現に市内の多くの病院は台風に備えて相当の準備をしていましたが、高潮により診療機器の多くが使用不能となり、停電等も相まって病院機能は0になったということでした。
タクロバン市民病院は屋根のほとんどが吹き飛ばされ、わずかなスペースで細々と診療を行っている状況であり、衣食住と併せて医療体制の再建が急務であると感じました。ちょうど福山市及び市議会からの寄附金により注文した屋根材がセブ島より届き、新年より修繕工事に入ることが確認できました。
 24日午後は、タクロバン市南部に位置するパロ市の友人(警察官)宅を訪問しましたが、パロの町は明らかに支援の手が届いていませんでした。これは各自治体の市長の行動力や政府とのパイプの大きさにも因るようで、赤十字にお金を寄附しただけでは、このような町には支援は届かないという事が良くわかりました。
 友人は、被災後にすぐタクロバンまで歩いて行ったそうですが、死体をまたがないと歩けない状況であったそうです。また、椰子等の樹木はみな台風の進行方向に倒れており、海岸沿いの集落はすべてが流されたそうです。友人の住居も屋根が吹き飛び、シートを被せているものの折からの大雨で雨漏りがひどく、家族4人が肩を寄せ合って生活していました。しかし、フィリピンの国民性か表情は明るく、不自由な生活にもかかわらず歓迎してくれました。気候が温暖であることが不幸中の幸いですが、日本なら災害発生の季節によっては大きな問題を引き起こすことでしょう。
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                  <山添神社にて>

 夜は市役所隣にあるサントニーニョ教会においてクリスマス・イブのミサが行われ、最小限の明かりと雨漏りのする教会に多くの市民が参集しました。宗教による連帯意識はこのような非常時にこそ発揮されるようで、復興に向けて「がんばろう」という意欲が強く感じられるミサでした。
 その後、復興支援関係者やロマルデス市長との会食があり、その席で「来年のばら祭にはぜひ行きたいと考えていたが、今回の件により公費を外遊に使うことが困難になった」と話がありました。
25日はタクロバン市の近郊の戦没日本兵の慰霊碑の被害状況について調査して回りました。市役所隣りの「ジャパニーズ・マドンナパーク」のマドンナ像は無事でしたが、外周の塀がほとんど倒れており、復旧には日本からの支援が不可欠であると思われます。激戦地リモン峠の第一師団の慰霊碑は木と竹で作られていたせいか、きれいに吹き飛んでいました。当初よりこれらが朽ち果てる頃には遺族も高齢化するので、その際には慰霊を終わりにするという申し合わせがあったそうです。よって近い将来、第一師団の慰霊碑は撤去される見込みです。
 タクロバン南方のドラグ市にある「山添神社」は現地住民の手で台風前よりむしろ綺麗になっており、山添大尉の人柄が偲ばれました。ドラグの警備隊長であった山添勇夫大尉は公平な統治を行い、多くの住民から慕われていました。山添大尉は昭和18年4月にゲリラとの戦闘により戦死し、その地に慰霊碑が建てられていましたが、今回の台風で損傷しましたので、住民生活が落ち着けば修理したいものです。
 同じくドラグにある「Hill120」は米軍の戦勝記念公園となっており、現地の記念碑等も大きな被害を受けていました。米軍の退役軍人会も高齢化していると思いますので、今後どのような対応をされるか興味深いところです。なお、この丘の頂上から撮った写真が残っていますが、米軍の艦砲射撃により焦土と化したドラグの町と同じ光景が出現していました。住民からも今回の台風被害はあの戦争以来の状況との声が聞かれました。
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 26日は今回宿泊した民家に発電機を持ち込み、それまでのロウソク生活が終わり、水道の幹線が開通したので家に引き込む工事を行い、井戸から水を汲む生活が終わりました。電柱のほとんどが倒れたため電気の復旧は難航していますが、フィリピンの方は元来生活力が高く、様々な工夫により少しでも生活環境を改善しようとする取り組みは、終戦後の焦土の日本を見るようでした。
 しかし、市内にはゴミ・ガレキが溢れ、連日の雨により衛生状態は非常に悪く、伝染病等の蔓延が心配されました。ガレキを片付ける重機が不足しており、撤去作業は遅々として進んでいない様子です。日本の重機メーカーより支援を行うことができないか、帰国後に検討することになりました。
 そのような中で、台湾のツチ・ファウンデーションという宗教団体による支援が住民の話題を集めていました。特定地域の住民を集め、自らが住む地域のガレキ撤去の作業を行わせ、集めた寄附金より報酬を支払うというものです。効果的な支援金の配布ということにとどまらず、支援団体の名前も住民にしっかりインプットされていました。
 同様に、私たちタクロバン福山交流支援センターは福山市及び市議会からの寄附金により、タクロバン市役所が必要とする軽トラック2台とパソコン3台、プリンター3台、ファックス付き電話2台をセブ島で購入して寄附しましたので、タクロバンの行政関係者には深い印象が残ったものと思われます。
 27日は大型の船が打ち上げられている海岸沿いの漁村アニボンを視察しましたが、食料等の物資は行き届いている様子で、炊き出しの窓口には長い行列ができていました。しかし、一次産業が中心のレイテにおいて生活再建はこれからです。漁村であれば、魚網等の漁具が足りず、これらの支援があれば、生業が再生して自立した生活が送れることと思われます。また、多くの倒木を製材して建築材料に転用しようにもチェーンソー等の機器が不足しており、生活再建に向けての継続的な支援の必要性を感じました。
 ここでも住民は明るく、当地を訪問してくれたことに感謝の意を表してくれ、自らの体験談を語って聞かせてくれました。しかし、海沿いの住民は勝手にバラックを建て始めており、JICAは海岸に防潮堤を建設してはどうか等のアドバイスを行っていますが、いざ実施する際の障壁になりそうです。いずれにしても海岸沿いのバラックは一旦仮設住宅に移ってもらい、海岸沿いのまちを都市計画に基づき再建する必要があるでしょう。そのような場面において日本の持つノウハウが生きることでしょう。
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by kkochan-com | 2014-01-11 21:14 | Trackback | Comments(0)