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「永遠の四一」ベストセラーに!

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著書「永遠の四一」が売れています。
諸事情により取り扱い書店は「啓文社」各店、「TSUTAYA」各店、神辺の「萬生堂」、大田記念病院売店の「福山健康舎」のみですが、啓文社では3週連続1位ということです。
初版は1000部しか印刷しておりませんので、早い段階で品切れになるかもしれません。
第二版を印刷するかどうかはまだ未定です。
遠方の方はこちらからお申込み下さい。
よろしくお願いします。
http://kkochan.com/bookorder.html

いただいたお便りをご紹介します。
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「永遠の四一」お奨めします。
41連隊といえば、明治41年に福山に置かれた連隊ですが、従来の郷土史家が記述する41連隊は「軍都福山へ」といったネガティブなもので、まるで悪いことのように記述し、だから空襲されたと示唆するような歴史書もあります。
当時わずか人口18,000人ほどだった小さな町・福山へ41連隊が来たことは、経済的な面で大変な影響を及ぼしています。41連隊のおかげで経済が栄え、人口が増え、これがその後、大正5年の市制施行に続いています。

「備後招魂祭」という言葉を、私は子供のころ明治生まれの母から聞いておりましたが、招魂祭が何を意味するのかは今になるまで知りませんでした。大田さんの本によって41連隊の戦死者を慰霊するお祭りであったことを知りました、当時、福山の最大のお祭りだったことも知りました。本の内容と母の言葉が結びつき、実感として当時の福山をイメージすることができました。
本としての装丁も一流で、表紙の若き兵隊さんの写真の目力は強く、かつ涼やかなのには魅了されます。41連隊は日本のために力一杯戦い、南方戦線で散華しました。大田さんは、それらの手記を集め、現地を訪ね慰霊し、この本を5年間かけて執筆しました。内容は精緻で、皆様もお手元に置かれると価値ある蔵書となるのではないでしょうか。

郷土史を少々知る者として、41連隊に関して、この「永遠の四一」を凌ぐ本はこの後何十年も出て来ないと断言できます。単なる歴史記述ではなく、時に涙なしでは読めないほどのすぐれた読み物です。この本は、大田さんの将兵への「招魂記」と言えるでしょう。
ところで、こういった本を出すと、すぐ「戦争賛美」ではないかと批判し、皮肉な視線を投げかける人がいますが、歴史を戦後のイデオロギーで見てはいけません。歴史というものは、事実を事実としてそのまま見ることが大切です。


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by kkochan-com | 2014-07-14 11:01 | Trackback | Comments(0)

南海支隊戦友遺族会・東部ニューギニア慰霊団

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出版記念会終了後、その足で南海支隊戦友遺族会・東部ニューギニア慰霊団の一員としてパプアニューギニアに旅立ちました。安倍総理も私達と入れ違いで訪問し、戦没者の遺骨収容の促進に対する協力をオニール首相に要請しています。
さて、南海支隊は、福山41連隊+高知144連隊+高槻独立工兵15連隊の合同編成であり、標高4千メートル級の山が連なるオーエンスタンレー山脈を越えて、米豪連合軍の拠点・ポートモレスビー攻略を目指しました。
スタンレー山脈の玄関・ココダにて読み上げた追悼文をご紹介します。
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        福山歩兵第41連隊のご英霊の皆様へ

 過ぐる大東亜戦争、東部ニューギニア方面において散華されました英霊の大前に謹みて申し上げます。
思い起こせば、あなた方は支那事変勃発と同時に戦地に渡り、広島第5師団所属の精鋭として支那大陸は申すに及ばず、仏領印度支那、マレー半島、フィリピン群島に転戦し、常にその勇名を馳せて来られたのであります。
 
 大東亜戦争たけなわの昭和17年8月、連隊はミンダナオ島ダバオ郊外のダリヤオンにおいて南太平洋上に浮かぶサモア諸島への進攻に備え、鋭意戦力の増強に専念しておりましたところ、急遽ニューギニアにて作戦中の南海支隊への増援部隊として派遣を命じられ、長駆して8月21日にバサブアに上陸しました。
息つく間もなく標高三千メートルを超えるオーエンスタンレー山脈の峻嶮を踏破して、所在の敵・オーストラリア軍を撃破しつつポートモレスビーを指呼の間に望む地点まで進出したのでありますが、軍命令により反転して「ココダ」を経由し「ブナ」「ギルワ」「バサブア」地区に集結したのです。

 しかしながら、陸海空において絶対優勢なる敵の包囲下、ジャングル中の豪雨のもと、熾烈なる砲火を浴び、病と飢餓に鞭打ちながら、限りなき物量を誇る米豪連合軍の昼夜を分かたぬ猛攻に耐えたのであります。
 戦局は時すでに我が利にあらず、待望してやまなかった友軍の兵員・物資の補給はついに実現せず、連隊主力は昭和18年1月20日に撤退命令を受け、ギルワ中央陣地の敵重囲を突破し、1月29日に軍旗を奉じてクムシ河の河口に集結を完了したのであります。
 ニューギニアに上陸以来5ヵ月余にわたる長期間、南海特有の灼熱の太陽に焼かれ、毎日のごとく襲うスコールに全身余すところなく濡れそぼり、軍衣は破れ、軍靴は裂け、昼なお暗きジャングルに潜り濁流を渡り、千尋の谷を越え、あるいはスタンレー山頂の骨身を突きさす寒気にはるか祖国の厳寒をしのび、南冥の地にある身を疑う事もありました。

 気候風土の違いは戦場の常でありますが、来る日も来る日も一握りの米と一握りの粉味噌による食料、しかも途絶えがちなる食料には、さすが千軍萬馬の精鋭なる将兵の体力にも限りがあり、栄養失調による衰弱と猛威を振るうマラリア・デング熱・赤痢・熱帯性潰瘍は、攻撃して来る敵にも劣らぬ脅威でありました。
 一度でも患い負傷せる者は治療するに器具なく、一包の薬もなく、身体は病魔の跳梁に任すほかなく、治療回復の見込みのない絶望的な状況にありながら、なおかつ襲撃してくる優勢なる敵を迎撃して甚大な損害を与え、よく陣地を死守して軍の作戦に多大な貢献をしたのであります。

 この間における惨状はまさにこの世のものとは思われず、さながら地獄のごとき凄惨苛烈なる死闘が連日連夜にわたり繰り返されたのでありまして、到底私ごとき者の筆舌では言い表す事はできません。
 ひたすら日本の勝利と祖国の繁栄を念じつつ、生命の続く限り弾薬最後の一発まで撃ち尽くして遂に護国の神となりたまいし皆様のご苦労とご心中を拝察いたします時、万感胸に迫り断腸の思いは堪えません。

 私達は、はるか南の昼なお暗き密林に、あるいは白波寄せる海岸の椰子林に懐かしい故国をしのびつつ寂しく眠っておられる霊魂に思いを馳せると共に、ご遺族様のご心中を推察申し上げる時、一日も早く温かい肉親の許にご帰還いただく術はないものかと案じておりましたところ、ようやく政府主導による遺骨収容が開始される見込みとなりました。
 願わくは私たちの微哀を嘉せられ安らかに静まりまして、祖国日本の永遠の弥栄とご遺族様のご繁栄を護り給い、郷土・福山の将来をお導き給えと、恐懼再拝謹みて申し上げ、祭詞といたします。
      
         平成26年7月7日
         福山市議会議員 大田祐介

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 じつはこの追悼文は昭和45年4月19日に備後護国神社で開催された慰霊祭において、前垣壽三実行委員長が読み上げられたものです。とても私ごときに書ける文章ではありません。あれから40年以上経過しましたが、その内容はいささかも風化していないと感じ、代読させていただきました。
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by kkochan-com | 2014-07-08 12:45 | Trackback | Comments(0)

大田ゆうすけ「永遠の四一」出版記念会

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多くの方にご参加いただき、出版記念会を開催いたしました。
元41連隊の兵士の方にも3人参加いただきましたが、いずれの方も90歳を超えており、最高齢の宇田さんはなんと99歳でした。41連隊の戦友会は7年前に解散しましたが、戦友会の旗を会場に飾って皆様とともに会を開催したいという思いを表現しました。
冒頭に私が20分程度、本の製作過程を解説し、その後に羽田市長、落先生(高校の恩師)、宇田県議、小川市議会議長に祝辞をいただきました。
宴たけなわの頃に執筆・編集・出版にあたりお世話になった皆様よりテーブルスピーチをいただき、小林・坂元両代議士より祝辞をいただき、最後に元兵士の皆さんと私が復刻・録音した「41連隊・連隊歌」を合唱してお開きとなりました。
参加された皆様には何のお構いもできませんでしたが、福山市発展の礎となったありし日の41連隊を偲び、今後とも世界の平和が維持されるよう思いを新たにする機会になったのではないかと思います。
下の写真は当日最後までお手伝いをしていただいた皆さんです。
ご協力心より感謝申し上げます。
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by kkochan-com | 2014-07-06 11:58 | Trackback | Comments(0)