第25回トライアスロンさぎじまに出場

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8月24日に開催された「トライアスロンさぎじま」リレーの部に福山商工会議所青年部チームで出場しました。
スイム(1.5km)大田祐介、バイク(42km)佐藤幸光、ラン(10km)豊田康裕という平均年齢47.5歳のメンバーです。青年部と言ってもかなりの高齢者チームです。
結果はリレーの部22位(35チーム中)で、まずまず健闘したと思います。
タイムはスイム35分14秒、バイク1時間28分10秒、ラン53分4秒、トータル2時間56分28秒でした。
過疎の進むさぎしまの活性化に少しは役立てたかと思います。
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# by kkochan-com | 2014-08-26 19:42 | Trackback | Comments(0)

啓文社・多冶米店で売り上げ1位に!

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# by kkochan-com | 2014-08-24 19:43 | Trackback | Comments(0)

山陽新聞(H26.8.15)

山陽新聞に私の取り組みを紹介していただきました。
慰霊碑の維持管理の問題、高齢化する遺族会、みたま祭・前夜祭の開催、「永遠の四一」の出版、この夏の活動の集大成的な記事です。
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# by kkochan-com | 2014-08-16 22:38 | Trackback | Comments(0)

中国新聞・備後版(H26.8.14)

「永遠の四一」発売から2ヶ月、やっと中国新聞が紹介記事を書いてくれました。
この手のネタは8月15日を過ぎると賞味期限切れとなるので、まさにギリギリのタイミングでの掲載です。
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# by kkochan-com | 2014-08-14 22:32 | Trackback | Comments(0)

初の「みたま祭・前夜祭」を開催

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第一回「みたま祭り 前夜祭」が備後護国神社にて盛大に開催されました。
毎年恒例の靖国神社のみたま祭をイメージして福山でも賑やかに戦没者の追悼をしようと、私が発案者となって福山市遺族会、日本会議広島・福山支部、福山みたま顕彰隊の3者が協力して準備を進めてきました。
天候が心配されましたが、台風と台風の合間の奇跡的な晴れ間が生じ、英霊の皆様のお力ではないかと関係者一同感激した次第です。当日は5~600人の方が訪れ、出店した屋台も大賑わいでした。当初どうなることかと心配されていた遺族会の皆さんも盛況ぶりに心から喜んでくださり、開催して本当に良かったと思います。
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大道芸人・ジロー今村さんによる「魂のパフォーマンス!」
そして、国歌「君が代」斉唱、 黙祷、 神事と続き、お楽しみの演芸会「鎮魂歌の夕べ」が始まりました。
城北中学校ブラスバンド、 有志によるカラオケ、 地元音楽家の皆さんによる演奏と続き、最後に参加者全員による「海ゆかば」合唱によりお開きとなりました。
私も特製「み」うちわの裏面に印刷した「慰霊碑クイズラリー」の採点係り、著書「永遠の四一」の販売、四一連隊・連隊歌CDの販売等、大忙しでした。
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明治から昭和にかけて戦死された備後出身の御英霊31,450柱、全ての御魂に対し謹んで哀悼の誠を捧げます。
今回、特に印象深かったのは参加した子供たちが楽しそうだった事です。一般的な戦没者追悼式典のように折り鶴を形式ばったセレモニーにて献納するより、今回のみたま祭・前夜祭のような楽しいイベントに参加した方がよほど戦争の歴史に対して理解が深まるのではないかと感じました。
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当日お越しになられた皆様 ご来場頂き誠に有難うございました。来年は敗戦から70年の節目の年ですから、今年以上に盛大な「前夜祭」を開催する予定です。
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福山みたま顕彰隊のメンバー一同御礼申し上げます。写真後方に竹灯籠でライトアップした護国神社の参道が見えます。来年はより美しくなることでしょう。
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# by kkochan-com | 2014-08-08 17:38 | Trackback | Comments(0)

第6回福山山岳会子供キャンプ in ゆうすけ山荘

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8月2~3日、小学4年~中学3年の男女17名が参加しました。
<初日>
10時に山野町の古民家「ゆうすけ山荘」に集合し、まずは参加者の自己紹介です。
昼食は井戸水を使ったそうめん流しを食べ、午後から農村公園の河原に移動してカヌー体験や仕掛けで魚を獲り、焚き火で塩焼きにして食べました。
その後は山荘に帰り、男子が炭を起こしてBBQの準備をしたり、五右衛門風呂や組み立て式露天風呂を沸かしました。女子はカマドでご飯を炊く係と焼きそばを作る係に分かれました。
大人は山荘に泊りましたが、子供はは男女のテントに分かれて雨の中でのテント泊、夜中に浸水したりいろいろあった様子です。
<2日目>
5時半くらいに起床、女子朝ごはんの準備を手伝ってくれ、女子の作ったホットケーキは大人気でした。
AM8時に龍頭山荘から龍頭の滝まで沢登りに出発、雨天決行、しかも増水して濁った沢を登り、福山一の名瀑「龍頭の滝」まで行ってきました。そのアドベンチャー度が写真から伝わりますか?
特に龍頭の滝は大迫力で、滝壺にはまさに「瀑風」が吹き付けており、大自然の脅威に畏怖の念を抱いたことでしょう。子供たちの人生に貴重な1ページを加えれたのではないかと思います。
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# by kkochan-com | 2014-08-06 10:22 | Trackback | Comments(0)

「永遠の四一」ベストセラーに!

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著書「永遠の四一」が売れています。
諸事情により取り扱い書店は「啓文社」各店、「TSUTAYA」各店、神辺の「萬生堂」、大田記念病院売店の「福山健康舎」のみですが、啓文社では3週連続1位ということです。
初版は1000部しか印刷しておりませんので、早い段階で品切れになるかもしれません。
第二版を印刷するかどうかはまだ未定です。
遠方の方はこちらからお申込み下さい。
よろしくお願いします。
http://kkochan.com/bookorder.html

いただいたお便りをご紹介します。
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「永遠の四一」お奨めします。
41連隊といえば、明治41年に福山に置かれた連隊ですが、従来の郷土史家が記述する41連隊は「軍都福山へ」といったネガティブなもので、まるで悪いことのように記述し、だから空襲されたと示唆するような歴史書もあります。
当時わずか人口18,000人ほどだった小さな町・福山へ41連隊が来たことは、経済的な面で大変な影響を及ぼしています。41連隊のおかげで経済が栄え、人口が増え、これがその後、大正5年の市制施行に続いています。

「備後招魂祭」という言葉を、私は子供のころ明治生まれの母から聞いておりましたが、招魂祭が何を意味するのかは今になるまで知りませんでした。大田さんの本によって41連隊の戦死者を慰霊するお祭りであったことを知りました、当時、福山の最大のお祭りだったことも知りました。本の内容と母の言葉が結びつき、実感として当時の福山をイメージすることができました。
本としての装丁も一流で、表紙の若き兵隊さんの写真の目力は強く、かつ涼やかなのには魅了されます。41連隊は日本のために力一杯戦い、南方戦線で散華しました。大田さんは、それらの手記を集め、現地を訪ね慰霊し、この本を5年間かけて執筆しました。内容は精緻で、皆様もお手元に置かれると価値ある蔵書となるのではないでしょうか。

郷土史を少々知る者として、41連隊に関して、この「永遠の四一」を凌ぐ本はこの後何十年も出て来ないと断言できます。単なる歴史記述ではなく、時に涙なしでは読めないほどのすぐれた読み物です。この本は、大田さんの将兵への「招魂記」と言えるでしょう。
ところで、こういった本を出すと、すぐ「戦争賛美」ではないかと批判し、皮肉な視線を投げかける人がいますが、歴史を戦後のイデオロギーで見てはいけません。歴史というものは、事実を事実としてそのまま見ることが大切です。


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# by kkochan-com | 2014-07-14 11:01 | Trackback | Comments(0)

南海支隊戦友遺族会・東部ニューギニア慰霊団

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出版記念会終了後、その足で南海支隊戦友遺族会・東部ニューギニア慰霊団の一員としてパプアニューギニアに旅立ちました。安倍総理も私達と入れ違いで訪問し、戦没者の遺骨収容の促進に対する協力をオニール首相に要請しています。
さて、南海支隊は、福山41連隊+高知144連隊+高槻独立工兵15連隊の合同編成であり、標高4千メートル級の山が連なるオーエンスタンレー山脈を越えて、米豪連合軍の拠点・ポートモレスビー攻略を目指しました。
スタンレー山脈の玄関・ココダにて読み上げた追悼文をご紹介します。
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        福山歩兵第41連隊のご英霊の皆様へ

 過ぐる大東亜戦争、東部ニューギニア方面において散華されました英霊の大前に謹みて申し上げます。
思い起こせば、あなた方は支那事変勃発と同時に戦地に渡り、広島第5師団所属の精鋭として支那大陸は申すに及ばず、仏領印度支那、マレー半島、フィリピン群島に転戦し、常にその勇名を馳せて来られたのであります。
 
 大東亜戦争たけなわの昭和17年8月、連隊はミンダナオ島ダバオ郊外のダリヤオンにおいて南太平洋上に浮かぶサモア諸島への進攻に備え、鋭意戦力の増強に専念しておりましたところ、急遽ニューギニアにて作戦中の南海支隊への増援部隊として派遣を命じられ、長駆して8月21日にバサブアに上陸しました。
息つく間もなく標高三千メートルを超えるオーエンスタンレー山脈の峻嶮を踏破して、所在の敵・オーストラリア軍を撃破しつつポートモレスビーを指呼の間に望む地点まで進出したのでありますが、軍命令により反転して「ココダ」を経由し「ブナ」「ギルワ」「バサブア」地区に集結したのです。

 しかしながら、陸海空において絶対優勢なる敵の包囲下、ジャングル中の豪雨のもと、熾烈なる砲火を浴び、病と飢餓に鞭打ちながら、限りなき物量を誇る米豪連合軍の昼夜を分かたぬ猛攻に耐えたのであります。
 戦局は時すでに我が利にあらず、待望してやまなかった友軍の兵員・物資の補給はついに実現せず、連隊主力は昭和18年1月20日に撤退命令を受け、ギルワ中央陣地の敵重囲を突破し、1月29日に軍旗を奉じてクムシ河の河口に集結を完了したのであります。
 ニューギニアに上陸以来5ヵ月余にわたる長期間、南海特有の灼熱の太陽に焼かれ、毎日のごとく襲うスコールに全身余すところなく濡れそぼり、軍衣は破れ、軍靴は裂け、昼なお暗きジャングルに潜り濁流を渡り、千尋の谷を越え、あるいはスタンレー山頂の骨身を突きさす寒気にはるか祖国の厳寒をしのび、南冥の地にある身を疑う事もありました。

 気候風土の違いは戦場の常でありますが、来る日も来る日も一握りの米と一握りの粉味噌による食料、しかも途絶えがちなる食料には、さすが千軍萬馬の精鋭なる将兵の体力にも限りがあり、栄養失調による衰弱と猛威を振るうマラリア・デング熱・赤痢・熱帯性潰瘍は、攻撃して来る敵にも劣らぬ脅威でありました。
 一度でも患い負傷せる者は治療するに器具なく、一包の薬もなく、身体は病魔の跳梁に任すほかなく、治療回復の見込みのない絶望的な状況にありながら、なおかつ襲撃してくる優勢なる敵を迎撃して甚大な損害を与え、よく陣地を死守して軍の作戦に多大な貢献をしたのであります。

 この間における惨状はまさにこの世のものとは思われず、さながら地獄のごとき凄惨苛烈なる死闘が連日連夜にわたり繰り返されたのでありまして、到底私ごとき者の筆舌では言い表す事はできません。
 ひたすら日本の勝利と祖国の繁栄を念じつつ、生命の続く限り弾薬最後の一発まで撃ち尽くして遂に護国の神となりたまいし皆様のご苦労とご心中を拝察いたします時、万感胸に迫り断腸の思いは堪えません。

 私達は、はるか南の昼なお暗き密林に、あるいは白波寄せる海岸の椰子林に懐かしい故国をしのびつつ寂しく眠っておられる霊魂に思いを馳せると共に、ご遺族様のご心中を推察申し上げる時、一日も早く温かい肉親の許にご帰還いただく術はないものかと案じておりましたところ、ようやく政府主導による遺骨収容が開始される見込みとなりました。
 願わくは私たちの微哀を嘉せられ安らかに静まりまして、祖国日本の永遠の弥栄とご遺族様のご繁栄を護り給い、郷土・福山の将来をお導き給えと、恐懼再拝謹みて申し上げ、祭詞といたします。
      
         平成26年7月7日
         福山市議会議員 大田祐介

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 じつはこの追悼文は昭和45年4月19日に備後護国神社で開催された慰霊祭において、前垣壽三実行委員長が読み上げられたものです。とても私ごときに書ける文章ではありません。あれから40年以上経過しましたが、その内容はいささかも風化していないと感じ、代読させていただきました。
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# by kkochan-com | 2014-07-08 12:45 | Trackback | Comments(0)

大田ゆうすけ「永遠の四一」出版記念会

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多くの方にご参加いただき、出版記念会を開催いたしました。
元41連隊の兵士の方にも3人参加いただきましたが、いずれの方も90歳を超えており、最高齢の宇田さんはなんと99歳でした。41連隊の戦友会は7年前に解散しましたが、戦友会の旗を会場に飾って皆様とともに会を開催したいという思いを表現しました。
冒頭に私が20分程度、本の製作過程を解説し、その後に羽田市長、落先生(高校の恩師)、宇田県議、小川市議会議長に祝辞をいただきました。
宴たけなわの頃に執筆・編集・出版にあたりお世話になった皆様よりテーブルスピーチをいただき、小林・坂元両代議士より祝辞をいただき、最後に元兵士の皆さんと私が復刻・録音した「41連隊・連隊歌」を合唱してお開きとなりました。
参加された皆様には何のお構いもできませんでしたが、福山市発展の礎となったありし日の41連隊を偲び、今後とも世界の平和が維持されるよう思いを新たにする機会になったのではないかと思います。
下の写真は当日最後までお手伝いをしていただいた皆さんです。
ご協力心より感謝申し上げます。
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# by kkochan-com | 2014-07-06 11:58 | Trackback | Comments(0)

「永遠の四一」好評発売中

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この度、備後の郷土部隊・歩兵第41連隊の足跡を辿った『永遠の四一(よんいち)』を、株式会社福山健康舎より上梓させていただくことになりました。

本書は、私がライフワークとして取り組んでいる41連隊の誕生から終焉までの歴史を、昭和の時代に自費出版された生還者やご遺族の手記を年代別・作戦別に分け、体系化して解説したものです。

今の世の中には、軍事に対して苦手意識をお持ちの方もたくさんいらっしゃいます。
しかし、41連隊の将兵がいかに戦ったかという歴史を知りたいという方にも出会いました。そのような方々のお役に立てればと思い、世界中に散らばったジグソーパズルを集める思いで本書を編纂いたしました。

実は昨年6月に執筆を決意したものの、手記や写真・地図などが集まらず大いに苦しみました。
郷土部隊の歴史の全貌を明らかにするという大きな仕事に取り組んだわけですから、手記などの収集や打ち込みと私の原稿執筆に半年、印刷会社に持ち込んでからも修正の連続であり校正完了までに半年、合計1年かかりました・・・。 

なかなか納得した本にならず、悔しい思いをしたものです。

しかし、必ずや41連隊の英霊の皆様が後押ししてくださり「この仕事は自分にしかできない」という信念の元、ようやく完成に至ったものです。知られざる郷土の歴史が明らかになり、今なおジャングルの落ち葉の下で眠っている英霊の皆様も少しはお喜びいただけたものと思います。

そして、「紹介する価値のある本だ」と感じていただけましたら、ご友人などにご紹介いただけると望外の喜びです。
よろしくお願い申し上げます。
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# by kkochan-com | 2014-06-20 23:33 | Trackback | Comments(0)