11月21日よりフィリピンのレイテ島・タクロバン市を訪問します。
この件は中国新聞(10/22)や山陽新聞(10/28)、経済リポート(11月10日号)にも取り上げられました。 福山市とタクロバンとの友好親善都市提携は1980年10月となっており、来年が30周年となります。しかし交流は途切れて久しく、提携の背景にあったレイテで全滅した「福山歩兵41連隊」の歴史も風化が著しいと感じています。 <調査事項> ①タクロバン市議会議員、アルフレッド・ロマルデス市長(予定)と福山市との交流再開について調査 ②日本統治の時代を知る市民との交流を通じて対日感情の調査・研究 ③光小学校と絵の交換交流を始めた現地小学校を訪問し、児童同士による交流の状況を調査 ④福山歩兵41連隊の戦跡の現地調査と聞き取り調査、及び慰霊碑の管理の現状を調査 ※訪問前に両市の交流再開のヒントや、慰霊碑へ供える手紙を募集しておりますので、ぜひご意見・お手紙をお寄せ下さい。 1、調査団メンバー 1.大田祐介 福山市議会議員(団長) 2.三谷干城 ユニバーサル開発設計事務所代表(副団長) 3.明平秀一 株式会社ワンスアゲイン・部長(渉外担当) 4.カルメーラ(カリー)アケヒラ (現地コーディネーター) 5.小坂原大 日本スリーエム株式会社・会長(陸軍士官学校51期生) 2、調査日程 11月21日(土) 福山駅16:30発、翌日の関空発フライトが早朝のため泉佐野市に前泊。 カリーさんは事前交渉役として、レイテに数日前から待機。 11月22日 (日曜日) 【国際線】関西空港(9:55発)→ マニラ(13:15着) 【国内線】マニラ(16:05発)→ タクロバン(17:20着)カリーさんと合流。 【宿泊】タクロバン中心街 ホテル・デ・アレハンドロ泊(ホテル内に戦時中の写真掲示) ホテルオーナーは親日派で、今でも日本語を少し読み書き出来る方です。 11月23日 (月曜日)…【翌日24日(火)に変更の可能性有】 午前中:大田議員、タクロバン市議・市長(予定)と面談し、30年前の姉妹提携の経緯や、今後の交流について(来年は30周年)調査する。 (第16師団 牧野四郎中将と面識のあるアニード氏も同行予定) 以前YMCAも福山とタクロバンは交流実績があり、連絡が取れれば関係者と面談し聞き取り調査。 戦時中タクロバン市長だった御家族宅を表敬訪問し、当時の様子を聞き取り調査。 午後:光小学校と絵の交換交流をしている小学校TACLOBAN ANGELICUM LEARNING CENTERを訪問し、交流実態を調査する。 11月24日(火曜日)…【前日23日(月)に変更の可能性有】 タクロバン市内 →(車で約20分)→ マッカーサー公園(滞在1時間の予定) マッカーサー公園 →(車で約40分~)→リモン峠の第1師団、第16師団など数箇所の慰霊碑を経由して、ビリヤバにある 福山41連隊の慰霊碑の現状を調査。 途中数箇所の慰霊碑調査や昼食を入れての小休憩など、ビリヤバまで4~5時間の予定。 ビリヤバからオルモック経由→タクロバン 11月25日(水曜日) 【国内線】タクロバン空港 (11:20発)→ マニラ国際空港(12:35着) 【国際線】マニラ国際空港(14:25発)→ 関西空港(19:20着)→ 福山(23時頃) 3、事前調査結果 1.30年前の友好親善都市締結の経緯 1980年10月、当時の中川市長が友好親善都市の締結文書に調印するも、当時の記録はほとんど残っていない。 2.過去の交流実績について 親善都市締結後の1985年に当時の栗原助役、三好市議(後の市長)ら7人の市議がタクロバンを訪問した事が唯一の公式訪問であり、当時のシンコ市長と面談した。タクロバンからは非公式に副市長が来福されたことが一度あるだけで、以後、行政による相互交流の実績はほとんど無い。その原因はタクロバン市長の交代にあるのではないか。選挙に敗れた副市長は「自分が当選したら福山市との交流をより活発にする」と公言されていたが、当選した新市長は積極的ではなかった。2年前に中村秀美氏を通じてタクロバン市長に羽田市長の親書を届けたことがあるが、返信は無い。しかし、現在は市長が交代しているので、状況が変わっているかもしれない。 3.民間の交流について 1990年代にYMCA間の交流があった。当初はセブYMCAと広島YMCAの交流がきっかけであり、その縁でレイテYMCAと福山YMCAの交流が始まった。レイテで数回の「ワークキャンプ」が開催され、参加した日本の若者にとって良い経験となったようである。 4.写真家・土肥政男氏の果たした役割について 土肥氏は41連隊に所属しレイテ島に渡るも、連隊長の命によりミンダナオ島に引き返したことにより生還する。その後60回にわたり遺骨収集等でフィリピンを訪問し、タクロバン市の名誉市民、福山フィリピン協会初代会長となる。平成14年7月19日逝去(享年94歳) 5.41連隊慰霊碑建立の経緯 平成10年5月31日に発足した「福山フィリピン協会」の主導によりビリバヤに慰霊碑建立が計画され、設計は平和建設の岡田実氏、平成15年2月21日に完成式典が行われた。建設基金として四一福寿会より100万円の寄付があった。しかし、完成後の定期的な慰霊は行われておらず、管理状況も不明である。理由は土肥氏が亡くなったため、福山フィリピン協会が休眠状態となったことによる。 4、調査のミッションとビジョン 1.慰霊碑訪問 ①出発前に遺族や関係者と面談し、情報収集を行う。 ②41連隊の歴史を風化させない方策を検討する。 ③慰霊碑へのお供えとして、戦前からある銘柄の福山のお酒・お菓子を用意する。 ④将来的にレイテ全島にある数百の慰霊碑のタクロバンへの統合を検討する。 ⑤福山市民に対してマスコミを通じ、慰霊碑にお供えする手紙を募集する。 2.両市の交流再開に向けた糸口を探る ①福山観光パンフレット、DVD(英語版)、備後特産品研究会や福山の食品業界等に依頼して福山の特産品をお土産として持参する。 ②具体的な交流における要望の聞き取りを行う(技術支援・人的交流・輸出入等) ③レイテの特産品(農産物・海産物等)の調査を行い、サンピア跡地(旧41連隊の所在地)にオープン予定のスーパーマーケットにて「タクロバンコーナー」開設を働きかける。 ④小学校訪問を通じ、子供同士による交流の他、成人、老人、3世代交流の可能性を探る。 ⑤福山市民より交流のアイデア(技術支援・人的交流・輸出入等)を募集する。商品サンプルの提供も受け付ける。 5、報告会の開催 12月20日(日)に調査結果の報告会を開催予定(場所は未定) 内容:調査結果の報告、郷土史家による41連隊戦史に関する講演、41連隊ゆかりの品・写真の展示、フィリピン料理の試食会等を予定 6、41連隊の戦史 41連隊の戦いについてはレイテ島で全滅したため当時の戦闘記録が残っていないこと、生き残った方も少なく語り部がいないことにより詳細が不明でした。数少ない記録を掘り起こし、中国新聞の記者であった御田重宝氏が「レイテ・ミンダナオ戦-人間の記録 徳間書店1977年」の中で41連隊の行動を詳しく書かれていますので、要約してご紹介します。 東部ニューギニア戦線で壊滅的な損害を被った41連隊は中国で再編成され、当初ミンダナオ島に派遣されます。そして第1・2大隊(約1600名)はレイテ島に送られ、第3大隊(約800名)はミンダナオ島に残ります。 オルモックに上陸したレイテの第1・2大隊は日本軍の先鋒として進軍し、圧倒的な物量・火力の差にもかかわらず奮戦し、米軍もその敢闘を称えているようです。 リモン峠を越えてタクロバン近郊のハロで41連隊は米軍と遭遇しますが、米軍はつるべ打ちの砲爆撃の後にM4戦車を先頭に進撃し、41連隊は蹂躙されたそうです。41連隊の持つ37mm速射砲ではM4戦車の装甲に歯が立たなかったので、なんと砲兵はM4戦車の76mm砲を狙い、その砲口に命中させ撃破した様子が米公刊戦史に記載してあります。その後、戦力が大幅に減退した41連隊はカリガラを望む高地に立てこもり戦い、年を越すと補給も無くなり「自活自戦」の状態となり、20年7月15日にカンギポット山の山麓(ビリヤバ近郊)で軍旗を焼き、連隊長の炭谷大佐は戦死され、生きて日本に帰った人は十数名と言われています。毎年7月15日に41連隊の慰霊祭が開催されていますが、小坂さんによれば来年が最後の開催になるのではないかとのことです。 一方、ミンダナオに残った第3大隊は転戦しながら最後まで大隊としての組織を持ちこたえ、終戦間際の8月12日には虎の子の大隊砲(70mm野砲)を米軍陣地に向けて5発放ち、「まだ日本軍は大砲を持っていたのか」と米軍を驚愕させたそうです。そして、約3分の1は復員したとのことです。
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| 2009-11-11 16:04
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