41連隊の生存者

NHK戦争証言アーカイブスに41連隊の生き残りの方の証言が掲載されていました。
大津市にお住まいの岡 今朝像(おか けさぞう)さんです。
東部ニューギニア戦における戦争の悲惨さを伝えています。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100509_00000

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私もぜひ直接お会いしたいと思い、先日、大津まで行ってきました。
岡さんの部隊「41連隊第2機関銃中隊」の戦闘状況は「福山聯隊史」片岡修身著P92~にも取り上げられています。こちらは開戦当初のマレー作戦であり、勝ち戦とは言え死と隣り合わせに変わりはありません。
下記の引用は、シンガポール攻略戦における最大の激戦地「ブキテマ高地」における戦闘状況です。
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昭和17年2月14日
福山歩兵第四十一聯隊第二大隊(長=友野幾久治中佐)の行動
2月14日の暑熱は、際限なく上昇するようだった。
もう誰の水筒を振っても音を立てない。
おりから夕焼けがはじまろうとして、薄いセピア色の紗を張るように夕暮れがやって来た。弾道のうなる空は、みごとに赤く映えて、鮮冴な夕焼けがクライマックスに達していた。
ぽつんぽつんと星が現れてきた。
福山歩兵第四十一聯隊の第二機関銃中隊長の岡今朝像中尉は、全員集合と声をかけた。
「いまごろ何ごとやろうな!」と兵隊は呑気な顔をして集まってきた。
集まって中隊長の顔を見て、みんな「はっ」とした。
何かあったんやろうな-と兵は小声で言っていた。
岡中隊長はみんなの顔を見まわし、静かな口調で
「ただいま命令がきた。われわれは敵陣ふかく入ることになった。みんな不肖中隊長の下にあって、いままでじつによくやってくれたが、この度こそはみなの生命は中隊長が貰わねばならぬ。覚悟してくれ。親しい人には最後の別れを告げるために手紙を書け、岡部聯隊長からとどけられた酒もある、ゆきわたらんが飲んでくれ。この戦は世界注視の的である。福山四一として、男らしく死んでくれ」
と言う事だった。
さあ、忙しくなったぞ。
決死の出陣とあっては別れの酒も飲まにゃならんし、手紙も書いとかにゃならんし。
まず何と言っても、千人縫を出してみて、恐る恐るなぜさすりながら、千人縫を作ってくれた女性たちに、武運をお願い申し上げねばならん。
死を前にして、静かに死を考えるのは、今が始めてであった。興奮してきた。
マレー作戦に参加以来、戦場を馳駆して幾度か死を考えたことがあったが、それはいわば刹那的に閃く花火のように、決死という立場に立っただけだ。
そして兵隊たちは、きのうとはまったく別人のごとく静かに、何かしいんと澄んだようなものをたたえ、お互いの間にかってなかった程の、しみじみとした触れ合いを感じあっていた。
第二機関銃中隊の精神が一つに統一されたと言うだけでなく、新しい信頼と勇気と、愛国心が炎のごとく生まれてきた。
その時、「おーい、第二機関銃は集合だ」と岡中隊長は大声を出した。
もうだいぶ暗くなっていた。
友軍の砲撃もものすごい。ピュンピュン飛び交う銃弾、時には美しい色をした曳光弾が飛んで来る。前進したらブキテマ高地の端に、白人住宅が群立していた。ここが戦場になっていた。
内海勇少尉と大内武生少尉とは、それぞれ小隊長として最先頭を進んでいた。
ベビー・ゴルフコースのある広々とした芝生のある豪華な2階建ての住宅群だ。
しかし、ジットラ・ライン以来大小数十回の戦闘に敗れたイギリス軍が地引網に追い込まれた魚のように、シンガポールに流れ込んでいたことを示すように、その付近には200台以上のトラック乗用車が、一台残らずフロントガラスを射抜かれて放置してあった。
少し下の家には、まだ敵がいて自動小銃を猛射してくる。これに対して一軒一軒攻撃して取らねばならない。
ダアーンと発射音につづく砲弾がそこら中に破裂して、そのたびにザアーッと頭から土砂をかぶる。頭をもたげることも、手を動かすこともできない。眼口もあけていられない激しい砲火の連続だ。キナ臭い硝煙がもうもうと立ちこめて何も見えない。「ああここで自分も死ぬのか」
という一念以外は、不思議となんの想念もわいてこなかった。
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じつはシンガポール大学とイギリスのグラスゴー大学が共同研究として上記のブキテマ高地の戦いの歴史的検証を行っており、ブキテマ高地のとりわけ「アダムパーク」の戦いを調べておられます。
その主任研究員のジョン・クーパーさんは、上記の岡さんの部隊の戦いはまさに下記の写真の家を巡る戦闘であったろうと推測されています。
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by kkochan-com | 2010-12-05 18:18
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