<登山口より517高地を遠望す> 平成23年6月26日(日) 午前3時福山発、岡山インターより関空行き高速バスに乗車、8時関空着。10時発フィリピン航空407便にてマニラ、国内線に乗り換え17時タクロバン着。タクロバン市内ホテル「ラ・リーカ」に投宿。 一行は私と曽我部光氏(大門地域歴史研究家)と藤原平市議、現地コーディネーターのカルメーラ・アケヒラ女史の4人であるが、現地ではそれぞれ自由行動を取り戦跡調査は主に私一人で行った。 6月27日(月) 6時30分にタクロバンのホテル出発し、昭和19年10月20日に米軍が上陸したパロの町を経由して、当時の米軍の進撃ルートに沿いオルモック方面に向かって車は走る。道中のハロ-トンガ間は、10月30日に炭谷連隊長率いる41連隊とニューマン大佐率いる米軍の歩兵第34連隊とが遭遇戦を演じた場所である。タクロバンを守備する16師団の援軍として10月26日にオルモックに上陸した41連隊(第1・第2大隊)はゲリラの妨害に悩まされながらもリモン峠を越え、カリガラ平野をタクロバンに向けて前進中であった。 ハロ-トンガの戦闘は2日間にわたったが、米軍の105mm榴弾砲による猛烈な砲撃と日本軍の戦車と比較すれば怪物とも言えるM4シャーマン戦車により41連隊は蹂躙された。しかし、41連隊も37mm速射砲で反撃し、2両のM4戦車を撃破した状況は米軍戦史により「レイテにおける最も効果的な速射砲射撃であった」と評価されている。なぜなら日本軍の37mm速射砲ではM4の分厚い装甲を貫くことはできず、戦車砲の砲口に命中させ内部で爆発させたからだ。まさに針に糸を通すような正確さである。 さらに道路を横切る小川の対岸や周辺の丘に機銃座を構え激しい攻撃を加え、指揮官ニューマン大佐も腹部に重傷を負って後送されている。31日夕刻に連隊本部の置かれたトンガ小学校に後退してきた兵士の多くは傷付き、兵力は半減し惨憺たる状況であったという。炭谷連隊長は夜半の雨にまぎれてカリガラ方面に後退を指示し、平地では勝負にならないとの判断か、山に籠り体制を立て直すとともに援軍を待つとして11月1日に西方の517高地に陣地を設けることとした。そして約50日間この山域に立てこもり、12月23日頃に更に半減した兵力でもって西方のマタコブ・カンギポット方面に転進して行った。 <41連隊本部が置かれたトンガ小学校> 今回のレイテ訪問の最大の目的はこの517高地(現地名Mt.Minoro)周辺における戦跡の探索である。レイテ戦における41連隊の生存者は僅少(一説には15名)であり、将校唯一の生存者であった佐々木寛平大尉の記憶も曖昧で、この地における日本側の記録は極めて少ない。戦後、遺骨収集等で関係者が訪れた記録も無く、まさに歴史の闇とも言える部分であり、苦闘した41連隊の将兵の気持ちを考えるとなんとかその健闘を称え、霊を慰めたいと思うのである。幸い41連隊が指揮下に入った102師団参謀の金子少佐の手記に、前線の推移を説明した図が載っている。また、参謀長の和田大佐の日記に11月20日の時点で「41連隊は600人に減じ、西田大隊(第1大隊)はピナ山にあり、正岡大隊(第2大隊)は716高地、連隊本部はその中間、田辺大隊(独立171大隊)は517高地」という配置が記されている。私はこれらの資料と米軍の資料を参照しながら41連隊の陣地や戦闘経過について現地の山に実際に登って推察を行った。 我々は8時にカリガラ平野西端のカポーカンに到着し、カポーカンの役場に隣接した警察署に行きミノロ山(517高地)登山の警備を依頼した。これは前日に登山口の下見に来た今回の旅のコーディネーター・カリーさんの手配によるもので、日本人が山に登り何かあってはいけないという配慮から武装警官5名が同行してくれることになっていた。そして登山口にある集落の顔役に案内人を頼み、9時にミノロ山に向けて出発した。現地に登山という文化は無く、道はヤシ林を管理するための道、いわば農道である。そのため頂上は一向に近づかず、警官は各自がM16ライフルを構え、汗をかきながら登っている。1時間余り登って中腹に達した場所で休憩を取り、そこから先は私と現地案内人だけで登ったが、やがて道は無くなり標高350mの地点で引き返さざるを得なくなった。約3時間、大汗をかいただけでこれといった成果も無く、初日の山登りは終了した。 12時に下山した私は現地案内人と密かに明日も山に登ることを約束し、警官たちに礼を言いカポーカンを後にした。そしてリモン峠の慰霊碑に寄り、山で食べるはずだったお弁当を食べ、慰霊碑の近くに住む親子との交流を深めた。彼らと会うのは3回目であり、その都度記念写真を撮っている。そして再会した際に前回の写真を渡すのである。その後、リモン川の川べりに降りたが、血染めの川は今では子供たちが水遊びをするのどかな川であった。オルモック街道に沿って工兵碑に寄り、リボンガオ三叉路を右折、マタコブを経由して41連隊終焉の地ビリヤバに着いた。もう表記がすっかり消えてしまった41連隊の慰霊碑を参拝し、管理人にささやかな心付けと昨年訪問時の住民を含めた集合写真を渡した。しかし、この慰霊碑は建立後十数年にもかかわらず施設の荒廃が著しい。福山の関係者にはその旨を伝えているが訪問するたびに慰霊碑は劣化する一方である。慰霊碑を建てることが目的になってしまい、その後の管理ができていない典型的な例と言えるのではないか。 その後、ビリヤバの海岸に出て、はるか遠方のセブ島を望見した。双眼鏡にうっすらと島影が映り、どんなにあの島に渡りたかったかという将兵の気持ちを推し量った。この地に集結した1万人以上の日本兵の中からセブに脱出できたのは第1師団1000名弱であり、41連隊将兵は来る日も来る日も船が来る日を待ち続けたに違いない。昭和20年の2月頃になってもう船は来ないと悟った将兵はカンギポット山周辺に追い詰められ、徹底した米軍の砲爆撃と掃討により終戦後にこの山から生きて出てきた日本兵はいなかったと伝えられている。栄養失調と病気により戦闘能力を失った日本兵に対してこれは虐殺と言っても過言ではない。 時間があったのでオルモックのコンクリートハウスに寄ったが、67年を経てなお壁の弾痕も生々しく原爆ドーム並みの迫力だ。さらにアルブエラ市役所前に展示してある日本軍の二門の野砲を見学した。敵に使用させないために自爆させた野砲は砲身が大きく裂けており、砲兵の無念さを感じさせるに十分である。宿泊はオルモックのサビン・リゾートホテルであり、今まで泊まったレイテ島のホテルの中で最も質の高いホテルであった。部屋でマッサージをお願いし、明日に向けて体調を整える。
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| 2011-07-03 20:29
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