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レイテ島・歩兵第41連隊の戦跡を訪ねて②

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6月28日(水)
6時半にホテルを出発し、車中で朝食のマフィンを食べながらカポーカンに向けて車を走らせる。8時に登山口に到着するも何やら住民間で協議を行っており、結局出発は9時になった。案内人は3人に増え、さらにカリーさんの弟リンゴがサポートについてくれ、我々調査隊は総勢5人のチームとなった。結局ミノロ山頂上への道は無いということで、さらに奥の片道4時間かかる「ジャパニーズ・ホール」に案内してくれると言う。4時間かかるなら食料が必要なので、何かビスケットのようなものとミネラルウオーターを集落のサリサリストア(雑貨屋)で買うように指示し出発した。

台風一過のレイテはうだるような暑さで、マラリア蚊を心配して長袖のツナギを着た私は全身から汗がしたたる。現地人はTシャツに短パン、腰には鉈を長くしたような蛮刀を差し、足元はなんとビーチサンダルである。私はグリップ力を増したトレイルランニング用の靴を履くが、彼らはその差はほとんど感じさせないスピードで粘土質の滑りやすい山道を登っていく。福山山岳会では十指に入る健脚を自負する私がついていくのが精一杯であった。やがて高度計は500mを示し、ミノロ山の頂上とほぼ同高度の場所にある現地人の小屋に着いた。このような山奥でバナナの栽培や焼き畑耕作をしていることに驚かされる。私はこの時点でかなり消耗しており、しかも登山口で買ったビスケットとはクラッカーであり、乾いたのどを通らなかった。日本軍の携帯食料であった乾パンも同様にのどを通らなかったに違いない。しかし、そこからがなお一層大変であった。案内人は道なき道の蔓や草木を蛮刀で切り開きながら、急峻な山をほぼ直登していくのである。しかもうっかりつかんだ木には一面トゲが生えており、泣く思いでジャングルをかきわけ、ようやく頂上らしき場所に到着した。木が生い茂り見通しはまったくきかない。しかし、そこには円形の穴が点々と掘られた形跡があり、まぎれもない陣地跡であった。

私はがぜん携帯シャベルを組み立て、タコツボ陣地の中に入り掘り始めた。ジャングルの木が縦横に根を張っており掘りにくい事このうえない。ほどなく茶色の小ビンが出てきた。また別の少し大きめの壕から軍靴の靴底を掘り出した。この靴の続きに遺骨が埋まっている可能性も考えて掘ったが、それ以外の物は出てこなかった。ここで案内人がさらに奥地に「ジャパニーズキャンプ」があると言い出した。しかし、私は体力的に限界に達していたし、これ以上進むと今夜のスケジュールに支障をきたすことは明らかであった。13時、後ろ髪を引かれる思いで下山にかかった。なお、この場所は517高地の尾根続きとなる通称692高地、現地名でMt.Badianと思われ、ハンディGPSで計測したところ北緯 11°14′52.6″ 東経 124°37′44.4″ 標高675mであった。

下山中、突如視界が開けたと思うと、なんと火の手が上がっていた。焼き畑である。なるほどジャングルに砲爆撃を受けた場合、同様に山肌が焼けただろうし戦場感覚を体験することができた。しかし、いよいよ足取りは重く果たして無事に下山できるか不安を感じだした頃にヤシ林に出た。そこで案内人がヤシの木に登りココナッツの実を取ってくれたが、1個当たり500㏄程度入っている実を2個飲み干した。完全に熱中症に加えて脱水症状であり、普段飲めば生臭いだけのココナッツジュースがまさに甘露というかスポーツドリンクであったし、果肉のコプラも削って食べて元気を取り戻すことができた。日本兵たちもどれだけココナッツの実に命を救われたことであろうか。15時に疲労困憊状態で下山したが、しばらくは口をきくのも億劫であった。案内人たちが「戦後この山に登った日本人はおまえが初めてだ」と褒めてくれた。

出土品を水洗いして観察すると、ビンは大きさや口の形状から薬瓶らしく米軍のものと推定された。同様に軍靴もサイズが大きく英語表記があったことから米軍のものと推定された。692高地は両側が切り立った尾根上にある戦術的には好位置であり、米軍陣地であったのか、もともと日本軍陣地(おそらく41連隊)があって米軍に占領されたのかは定かでないが、このような奥地で戦闘が行われたこと自体に驚かされた。
本日夜から明日にかけてタクロバン市最大の祭り「サンヤウフェスティバル」が開催され、前夜祭に参加した。サンヤウとは現地語であるワライワライ語で「楽しいことを分け合いたい」という意味であり、マニラからかのイメルダ夫人の息子であり次期大統領とも目されるフェルディナンド・ボンボン・マルコス国会議員がゲストとして招聘されており、華やかなムードであった。

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6月29日(水)
 歓迎昼食会を経て祭り最大のイベントであるパレードを観覧した。我々はアルフレッド.Tロマルデス市長、市長夫人であり元映画女優であるクリスティーナ.Gロマルデス市議、前夜お会いしたマルコス議員らと並ばされVIP待遇であった。先に紹介した3人は市民より大変な人気を博し、多くの市民が写真を撮っていた。特にクリスティーナ夫人には華があり、場を盛り上げる力を持っていた。なお現市長はイメルダ夫人の甥であり、祖父の兄弟であったダニエル.Zロマルデス州知事(タクロバン空港の名前にも冠されている)は昭和40年代のまだ日比関係が良好でない時期に日本兵の遺骨収容に尽力された方であり、レイテ出身のイメルダ夫人とも深い繋がりがあったと想像される。
福山市とタクロバン市は親善友好都市となって31年目となるが、行政間の交流は行われず、我々タクロバン福山交流支援センターが核となり交流再開に努めてきた。そのような努力をロマルデス市長も評価してくれているであろうし、この祭りに象徴されるタクロバン市のエネルギーを共有できればどれだけ福山市が活性化することであろうかと感じた。
by kkochan-com | 2011-07-02 20:35
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