6月30日(木)
6時にホテルを出発し、レイテ滞在最終日の今日は案内人の言う「ジャパニーズキャンプ」にチャレンジすることとした。朝食はフィリピンのファミリーレルトラン「ジョリビー」でしっかりと食べ、余りはパックに詰めて昼食とした。次に行動食となるチョコレートバーとミネラルウオーターを大量に買い込み、案内人各自に持たせた。さらに今日の私のスタイルはTシャツ+短パンであり、日に日に現地住民に近づいていった。 8時に登山口を出発、今日は長丁場になること確実である。うれしいことに犬2匹が前後して付いてきて我々をガードしてくれている。一昨日の道をたどり、途中標高600m前後の稜線にて案内人が「以前、ここにスタンド付きのマシンガンがあった」と説明してくれた。おそらく41連隊の92式重機関銃と想定され、4人がかりで運ぶ重機関銃をここまで持ち上げたその労力を偲ばずにはおられなかった。登り始めて3時間、適時休憩を取りエネルギーと水分を補充しながら前回よりはるかに楽に692高地下部を通過し、その約500m西方に目指すジャパニーズキャンプはあった。その地点のデータは、北緯 11°14′33.7″ 東経 124°37′30.5″ 標高690mであり、まさに102師団参謀長の和田大佐が正岡大隊(41連隊第2大隊)布陣と日記に記した716高地、米軍の言うところのHill 2348だ。そしてそこには無数の塹壕跡があったのである。 ここで30師団(豹)41連隊のレイテにおける指揮系統を説明すると、当初タクロバン守備隊の16師団(垣)の援軍としてミンダナオから派遣された41連隊は16師団に参入される予定であった。しかし、ハロの遭遇戦により合流はかなわず、同行した102師団(抜)の天兵大隊や独立169連隊・独立364連隊とともに脊梁山脈において持久戦に入ったことからピナ山(Mt.Pina 728m)に司令部を置いた102師団の傘下に入った。後にリモン峠攻防戦の主力となった第1師団(玉)の輜重隊から若干の補給を受けたとも推定されている。 米軍の戦闘記録によれば、10月20日にマッカーサーと共にパロ海岸に上陸した第12騎兵隊はレイテ島の脊梁山脈にあたるこの困難な地域の攻撃に振り向けられ、11月15日にHill 2348における血生臭い戦いが始まったと記されている。日本軍の物資補給ラインを寸断し、決死的な日本兵の攻撃を退け、12月2日の夜ようやく丘を占領したが、米軍も241人の戦死者を出したとのことである。 一方で102師団参謀の金子少佐の手記によれば11月下旬の戦況として「41連隊はいぜん716高地北方高地を占領し、敵と数十メートルを距てて戦闘中にして、わが損害は兵力の約半数なり。716高地は配備なく、一部の敵逐次侵入し41連隊側面は危殆に瀕しつつあり」と、41連隊の苦境が記されている。 41連隊は517高地正面カポーカン方面の敵のみならず後方側面からも攻撃を受けていた。米軍の記録によれば11月16日にカポーカンに位置した第112騎兵隊にミノロ山(517高地)攻略の命令が下されている。第112騎兵隊は11月22日まで山麓をパトロールしたが、おそらく山頂はパスして30日にかけて西進し、その際に41連隊と思われる日本兵の散発的な抵抗に遭ったと記されている。 さて、手分けして塹壕跡を掘り出した。まもなく案内人の一人より声が上がり薬莢が出土した。思わずつかむと、薬莢は砂が崩れるかのようにバラバラに砕け67年の歳月を感じさせた。その後も多くの薬莢、少数の銃弾が出土したが、弾丸の口径は約7.7mmであり日本軍のものか米軍のものか判然としない。いずれにせよここで激しい戦闘が行われてことを裏付ける品である。そのうち錆びた鉄棒が出土し、土を払うと一部に銅製の帯が巻いてあった。これはおそらく日本軍の銃剣か刀の付け根に付属した「ハバキ」と推定される。41連隊将兵の苦闘の証拠の品であり、よくぞこのような奥地のジャングルで、弾薬はおろか食料の補給さえない状況で健闘したと言わざるを得ない。おそらくは東部ニューギニアにおけるジャングル戦の経験を生かし、ゲリラ戦でもって対抗したと考えられる。 数日間好天に恵まれていたが12時半頃ついに雨が降り出した。発掘は中止し、案内人がヤシの葉を切って急ごしらえのセブリを作ってくれた。日本兵たちも同様に雨宿りをしたことであろう。もう少し時間があれば周辺にあったとされる洞窟も探索したかったところだったが、残念ながら入口を発見することができず、また雨は止みそうもなく、協議の末下山することとなった。雨で道はぬかるみ、案内人たちは裸足で歩きだすのを見て、このような山岳地帯での戦闘において現地住民の協力は不可欠と感じた。彼らは山中の道や食料について熟知しており、日本兵が誤って食べて口が痺れた「電気イモ」についてもよく知っていた。日本と同じワラビが生えていたのも印象的であった。また、山中には樵(きこり)も存在し、製材した大きな材木を肩に担いで下山している樵にも出会った。米軍は現地住民を宣撫し、弾薬運搬や道案内に使ったのではないか。そしてそれは強力な支援となったであろう。 15時に下山したが、戦後の日本人の誰も行ったことのない激戦地692高地および716高地の陣地跡探索を果たし、心からの充実感をかみしめた。心残りは517高地の頂上を踏めなかったことである。しかし、現地案内人との繋がりもできたので、今後継続して調査することも可能であるし、多数埋まっているはずの遺骨の収容にも発展するかもしれない。戦後はじめてこの山を訪れた日本人を英霊たちはどのように感じてくれたか定かではないが「遅い」と感じていることだけは間違いないであろう。その責任を取ることに「今さら」ということは無いはずだ。来年は金属探知機等を揃え、より体制を整えて詳細な現地調査を行いたいと考えている。 7月1日(金) 前夜のサヨナラパーティーで出されたヤシ酒を飲み、ホテルに帰ってから下痢が止まらなくなったために飲まず食わずで帰国するはめになった。しかも、荷物には多くの出土品とお土産が入り重量オーバーとなり追加料金を払わされた。いずれにしてもこれらは旅の最終日のことであり、滞在中はコーディネーターのカリーさんと、41連隊の英霊たちがすべてにおいて良い方向に導いてくれたものと感謝している。
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| 2011-07-01 20:40
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