平成23年8月30日(火)出発 今回の旅は福山歩兵第41連隊の戦跡巡り最終回「マレー作戦編」であり、まったくの一人旅だ。朝一番の新幹線に乗り、広島で乗り換えて博多で下車。地下鉄で福岡空港に向かい、シャトルバスに乗り換えて国際線ターミナルに9時前に到着した。飛行機(シンガポール航空)の出発は10:15なので出発間際だが、事前にインターネットチェックインを済ませているので、荷物(折り畳み自転車)を預けるだけ。しかし、福岡空港のセキュリティーチェックは厳しく、両替等を済ませば搭乗までの時間的余裕は少なかった。 機内ではJTBの駆け出し添乗員さんの隣となり、旅の話やJTBによる町おこし支援策等について話しながら楽しく過ごすことができた。シンガポールは雨模様の天気であり、タクシーでリトルインディア地区にあるホテル・ディックソン81に向かう。運転手に明日の朝7時30分にホテルに迎えに来てくれるよう念を押して下車した。ホテルにチェックインして早速持参した自転車を組み立ててダウンタウンを走ってみた。自転車は(有)バイク技術研究所製のYS-11というモデルで、国産旅客機YS-11製造会社(日本航空機製造)に2年、トヨタ自動車に30年以上のクルマ開発経験を生かして製作されたそうだ。14インチの小径ホイールにアルミフレームの組み合わせで3段変速機内蔵にもかかわらず重量は10kg以下に抑えられている。なぜ自転車を持参したか、その理由は69年前にタイムスリップするためだ。 「Gemencheh River Bridge」 夕食は中華料理店でシンガポール在住の方と夕食を伴にし、歴史認識等について意見交換をした。シンガポール占領後に日本軍による「華僑粛清」が行われたとされているが、本当に「粛清」つまり皆殺しであったのか? 非常にデリケートの問題だが『日中戦争いまだ終らず マレー「虐殺」の謎・中島みち』によれば、敵性華僑つまり抗日ゲリラ掃討が目的であり、無垢の市民の無差別大量虐殺が目的ではなかったとしている。この著書は緻密な取材を積み上げ中立的な視点で書かれた大変な労作であり、すでに絶版であるが一読されることを勧める。 8月31日(水)激戦地ゲマスを訪問 今日はマレー鉄道(KTM)に乗り、41連隊がオーストラリア軍の待ち伏せ攻撃を受けて大損害を被ったマレーシアのゲマスに向かう予定だ。ホテルからシンガポールの駅「ウッドランズ・トレインチェックポイント」まで送ってもらおうと昨日のタクシーを待つが10分過ぎても現れず、仕方なく流しのタクシーを拾おうとするが朝のラッシュ時であり空車は見当たらず!かなり焦ってきた頃にやっと乗車することができた。ウッドランズには発車35分前の8時10分に到着したが、間もなく出国審査が始まりその後マレーシアの入国審査を通過して列車に乗り込んだ。発車後間もなくジョホールバルに架かる橋「コズウェー」を渡り国境を越える。ゲマスまで約3時間、車窓にはパーム椰子の農園が続くが、69年前は天然ゴムの木が多く栽培されていたはずである。年月とともにマレー半島の風景も大きく変化したようだ。ゲマスはヌグリスンビラン州の最南端にあり、マレー鉄道の西海岸線と東海岸線の交差する要衝の駅だが、町自体は小さな田舎町で特にこれといった見所は無く、日本人でこの町で下車することはまずないだろう。しかし、ここから西方約11kmの地点にある「Gemencheh River Bridge」は昭和17年1月14日、小林朝男大隊長率いる41連隊第3大隊がオーストラリア軍の待ち伏せ攻撃を受け、死傷者数百名という甚大な被害を出した場所だ。第3大隊がこの橋を渡った直後に爆破され、切通しとなっていた道路両脇の高台から集中攻撃を受けるとともに、上空からは戦闘機による機銃掃射を受けたという。援軍に来た向田戦車隊も次々擱座されるなど、ゲマスを突破するのに約1週間を要した。そして私がその足跡を追いかける正岡隆大尉(当時は少尉?)は幸運にもこの戦闘を切り抜けることができたのであった。 さて、私は駅前のホテル・トロピカーナにチェックインして自転車を組み立て、ゲマスの町を一回りした後、西に向かった。日本軍がマレー半島を縦断した道路は現在国道1号線となり、幹線道路となっている。約40分走ったところにGemencheh River戦跡公園があった。そこにはオーストラリアによる記念碑や説明版が掲げられ、川の中には爆破された橋の橋脚に一部が水面に顔をのぞかせており、説明版には「この記念碑はここで戦った豪・日兵士の名誉のために建てた」と記されていた。豪軍の戦勝記念碑でもなく、日本軍の慰霊碑でもなく、ただ両軍の「名誉」のためにという記念碑に私は癒される思いがした。この地で亡くなった福山41連隊の将兵の冥福を祈り、自転車で来た道を引き返した。道路は大幅に拡張されていたが、両脇に小山が茂り、待ち伏せの拠点になったであろうことは容易に推測できた。まさに自分が銀輪部隊の尖兵となってゲマスを目指しているかのような錯覚さえ覚えた。 「福山聯隊史・片岡修身著」P63にゲマスの戦闘は次のように記されている。 福山歩兵第四十一聯隊の第三大隊は、尖兵として第十一中隊がずっと前に出て後は第九、第十、第十二中隊と続き、第三機関銃中隊が最後であった。全員、自転車かトラックであるのと、連戦連勝であるから、大声で歌いながら自転車を踏んでいた。 ♪ガチャグツ、ガチャグツ靴の音 出て見りゃ兵隊さんの演習帰り 大尉に中尉に少尉どの 特務曹長、曹長、軍曹、伍長、上等兵、新兵さ~ん 伍長勤務は生意気で~ 意気な上等兵にゃ金がない かわいい新兵さんにゃヒマがない 女迷わす、二つ星♪ その時ドカーン。と、いま渡ったばかりの橋を爆破された。最後尾の第三機関銃中隊が渡っていた時、大爆発とともに橋は落下したばかりでなく、橋の両側には日本軍と初めて戦闘する豪州第8師団第27旅団の精鋭であった。すべてイギリス製のステンMK2サブマシンガンで32発が全自動で飛び出す銃で一斉射撃。爆発と同時に福山歩兵第四十一聯隊第三機関銃中隊の九二式重機関銃を積んだトラックは河に落ちた。戦車第一聯隊が先行したことで安心しきって進んでいたので、びっくりすると同時に大混乱であった。まず最先頭の車が手榴弾攻撃でやられ、後部の橋は爆破された。中に挟まれた車両は動きが取れない。そのうえ、全員が三八式歩兵銃は背中に背負ったり、自転車にくくりつけていた。敵は衆をたのんで手榴弾を投擲して次から次と攻撃してくる。 自転車に銃をくくりつけていた兵はゴボー剣を抜いて突撃していった。だが、迫撃砲弾、手榴弾など次々と爆発して砂煙をまき散らし、まともに目も開けられない、修羅地獄とはこのことか。(後略) Ambush at the bridge over the Sungei Gemencheh River,beyond Gemas, 14 January 1942. Murray Griffin, 1946[Oil over pencil on hardboard, 123x93cm AWM ART 24500] 以下「指揮の危機―ベネット少将と1941・42 年マレー作戦における英国軍の有効性―カール・ブリッジ」より引用 ================================= オーストラリア軍司令官ベネット少将の計画の主要な要素は、大隊規模の大掛かりな待伏せであった。幹線道路が狭くなっているゲマス付近のグメンチェ川に架かる橋が待伏せの場所として設定された。ベネットは強力なカウンターパンチを浴びせる計画を立てていた。彼は日本軍は強力な部隊を海岸線に沿ってムアールまで送り込むようなことはしないと読み、賭けに出たのである。 ゲマスでの待伏せは大成功を収めた。自転車に乗ったおよそ700 人から800 人の日本兵が、殺戮可能な場所で捕捉されたのである。日本兵の半分が戦死し、多くが負傷した。オーストラリアの官選歴史家の言葉を借りれば、それは次のような光景であった。 (橋の下の)爆薬が激しく爆発し、木材、自転車、そして人間の体を空に吹き飛ばした。それとほぼ同時に、ダフィー(大尉)が指揮する3 個小隊が敵に手榴弾を投げ付けるとともに、ブレン銃、トムソン式小型機関銃、そして小銃を敵に向けて掃射した。 その音はあまりに大きく、ダフィーが砲兵隊の発砲を命じたとき、前線にいた観測将校は自分の配下の砲列がすでに発砲していると勘違いしたほどである。 ================================= インターネットで検索したところ、ゲマスにはオーストラリアの関係者は時々訪問しているようであったが、日本人が訪問した形跡はほとんど見つからなかった。その中でマレー半島ピースサイクル(MPPC)という日本人グループが、銀輪部隊が「侵攻」した経路を自転車でたどる旅を実施したそうだ。その趣旨は「MPCCは市井の一人ひとりとして先の侵略戦争を反省し、2度と日本が戦争に加担することのないようにとの願いを込めて、自転車を漕ぎながら銀輪部隊が犯した虐殺などの現場を訪ね、慰霊と平和のための行脚を重ねてきました。」ということである。先に紹介した中島みちの著書によれば、マレー半島における抗日華僑の拠点における掃討作戦に巻き込まれて住民も犠牲になったのは事実であるが、決して虐殺というような内容ではなかったし、戦後多くの日本兵が無実の罪を着せられてB級・C級戦犯として処刑された事実も忘れてはならないと述べている。そもそもマレー抗日華僑掃討作戦はシンガポール陥落後の3月に実施されており、攻撃前進中であった銀輪部隊は「虐殺」とは関係ないはずである。41連隊をはじめとする銀輪部隊の名誉が守らなければならないと感じる。 平成元年の夏には41連隊第2大隊第7中隊の元兵士・樽田篤磨氏が、マレー作戦で上陸したシンゴラからシンガポールまで孫娘と共に自転車で慰霊旅行をされたそうである。その様子を中国放送がドキュメンタリー番組に仕上げたそうだが、22年前の番組とは言えぜひ観てみたいものだ。ご覧になった方によれば「結婚を間近にひかえた娘さんが祖父と戦争について語り合い、二人で激戦地にて合掌した姿は実に感動的であった」そうだ。激戦地を当時と同様に自転車で旅すれば「当時と同じ空気」に触れることができるはずである。この祖父と孫娘の旅が今回の私の旅のヒントになったと言える。反戦平和を祈る気持ちは私も前記グループと共通しているが、そのスタンスにはかなり差があるように感じる。確かに現地住民や他民族に対しての贖罪も必要だが、戦後ODAや民間企業間での経済交流等を通じて日本はマレーシアの発展に貢献してきた。それよりも何よりもまず犠牲になった同胞の事を忘れてはならないのではないか。 <爆破された橋げたがわずかに水面に顔を出す> ゲマスには16時頃帰着し、マレーシア通貨「リンギッド」を入手するべく町内を探したが、この小さな町には両替所が無いことが判明した。途方に暮れているとガソリンスタンドの店員が声を掛けてくれ、インド人が経営するカレー屋を示し、あそこなら両替してくれるだろうと教えてくれたので行ってみると快く両替してくれた。これで晩御飯が食べられるというものだ。 本日はマレーシアの独立記念日であり、TVでは特集番組が組まれていた。マレー語はよくわからないが、番組の中で独立の歴史を振り返る際に必ず最初に1941年の日本軍のマレー作戦の映像が映し出されることから、あの戦争がマレーシア独立の原点・スタートに位置付けられているということは理解できた。 <オーストラリアの関係者により建立された記念碑>
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| 2011-09-10 23:29
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