3、米軍・第1騎兵師団の戦史
前項では、日本側の証言や資料が極めて少ないため、推測による戦史が一人歩きしている状態を示した。しかし、本当に脊梁山脈の日本軍は「遊兵的存在」で「一たまりもなかった」のか、米軍の戦史を元に検証を進めたい。筆者は第1騎兵師団の戦史「THE 1st CAVALRY DIVISION in WORLD WAR Ⅱ」を取り寄せ、「THE LEYTE-SAMAR CAMPAIGN」P80~89に脊梁山脈の戦闘に関する記載を発見した。以下、戦史研究家の丸谷元人氏が翻訳した、ミノロ山(517高地)・バディアン山(692高地)・2348高地(716高地)に関する戦闘記録を紹介する。 ![]() <11月7日> 日本軍は引き続きオルモック渓谷を通って北方に増援部隊(第1師団か)を派遣したため、レイテ渓谷とオルモック渓谷を分断する脊梁山脈周辺に浸透する敵の脅威が改めて浮き彫りとなった。この日本軍の作戦計画は、捕獲した文書によっても明確に裏付けられていた。 この敵の行動を阻止するため、第12騎兵連隊に対してただちにレイテ渓谷西方の高地に進撃し、そこに展開していた日本軍守備隊を攻撃せよとの命令が下された。この攻撃準備の最中、E中隊はバディアン山(692高地)とミノロ山(517高地)の間の鞍部に進出し、F中隊はピナ山とバディアン山の間の高地に移動した。その間、第1大隊は第2大隊に合流するため、激しい台風の中を夜通し行軍した。ジャップが周囲に出没する地域で晴天の昼間に行軍を行う事は極めて危険な事であるが、一方で、時速40マイルから70マイルもの強風が吹き付ける強風の中、泥と雨にまみれつつ行ったこの厳しい進軍は、将兵らの記憶に長く残り続けるであろう。結局、第1大隊は11月9日0715時にこの行軍を完了した。そして0800時、第271野戦砲兵大隊による支援射撃の下、第12騎兵連隊は攻撃を開始した。当初、日本側からの反撃は極めて微弱であったが、F中隊は散発的な抵抗を受け、5名の敵兵を殺害した。その直後、F中隊の右翼を防衛していた一分隊が敵の反撃を受け、これにより分隊機関銃手1名が戦死、第二機関銃手が重傷を負った。その時、ニューメキシコ州コチタ・プエブロ出身の弾薬手、ベン・キンタナ上等兵が、沈黙させられた機関銃に駆け寄り、凄まじい射撃を敵に浴びせたため、日本軍には死傷者が続出した。この戦闘の最中、キンタナ上等兵自身も敵の射撃を浴びて致命的な重傷を負ってしまったが、彼の勇猛な戦いぶりによって敵の反撃は一気に挫かれ、部隊の安全が確保される事となった。その結果、部隊は攻撃を再開し、敵の拠点を制圧する事が出来た。 昼前までに敵は一層強力な抵抗を示すようになったが、第12騎兵連隊第2大隊は、砲兵による制圧射撃を要請した上で敵に対する攻撃を実施、ついにジャップを駆逐させることに成功した。この戦いは、その後に行われたオルモック−レイテ渓谷間の脊梁山脈における激しい争奪戦の序章となるものであった。陰鬱で過酷な環境の中、この争奪戦は以後二ヶ月間継続される事となる。その間、我が軍が保有していた8万分の1の地図が、実に不正確であるという事も判明し、作戦に著しい悪影響を与える事となった。例えばこの地図では、 ピナモポアンから南に続く道路の場合、実際の位置から2,000乃至3,000ヤードも西にずれた位置に描かれていた。そのため、バディアン山からピナ山にかけて作戦行動をしていた部隊は、自分たちの現在位置を確認することに大変な苦労をさせられる事となった。ただ一つ救いであったのは、この地域で活動していた日本軍もまた、不明な現地の地理に悩まされていたことである。一方、さらに深刻な問題は、前線部隊への補給であった。ここでは、すべて兵士たちが装備や食糧を手で運ばねばならなかったのである。そのため、山岳地域に深く入り込むほど、弾薬や食糧の補給が一層困難になるという状況が生じたのであった。結果として、時に将兵たちは一日一食のみの給養で何日間も戦い続けねばならない事態が度々発生したのである。 <11月9日> 第1騎兵師団長のマッジ少将は最前線の戦闘地域を数回視察した。マッジ少将はまず、ピナ山とバディアン山の間の山道奥で孤立していた第5騎兵連隊のB中隊に足を運んだ。この師団長視察は、前日から同地域を襲っていた台風による強風の中で行われたが、その途中で多くの氾濫した河川や水路を渡らねばならなかった。敵の攻撃が差し迫る中、断崖絶壁の狭くて険しい山道を通って行われたこの視察は、大変な困難を伴うものとなったのである。 二日後、マッジ少将は同じように困難な道のりを通って、今度は自ら第12騎兵連隊本部を訪問した。この前線視察によって、師団長のマッジ少将は、麾下の部隊が自分たちの現在位置を正確に把握しておらず、このままの状態で補給を行う事が極めて困難である事を理解した。一方、師団長がわざわざ最前線に進出した事で、前線将兵と補給部隊の将兵らの士気は一気に向上した。視察する先々で、将兵らと気軽に会話し、勇気づけ、彼らの作戦内容や健康状態にまで深く気を使うマッジ師団長の人柄は、兵たちの絶大な支持を得るに至り、そうして一気に燃え上がった部隊の士気が、結果的に第1騎兵師団をして大勝利に導く事になった。 <11月10日> 第5騎兵連隊第1大隊は、敵の抵抗を受ける事なくピナ山系の2926高地を占領した。そこから北西にあるピナ山とバディアン山の間では、第12騎兵連隊が日本軍の強力な抵抗に遭遇していた。ナイフの切っ先のように鋭く聳えた稜線に布陣していた約50名のジャップが、前進して来た第12騎兵連隊に対して機関銃などで激しい攻撃を加えて来たのである。ここが敵の防衛線における重要拠点の一つである事は明らかであった。そのため、この稜線に対する野戦砲兵の制圧射撃が夜通し行われ、その結果、ついに敵をこの線から駆逐する事が出来た。 <11月11日> 比較的静かな日であった。第12騎兵連隊第1大隊が散発的な小銃射撃による敵の抵抗を受けたものの、それらは行く手を阻むような険しい地形によって大した効果を挙げる事はなかった。一方、ミノロ山付近において激しい敵の包囲攻撃を受けていた小銃兵らの部隊を援護するため、第7騎兵連隊D中隊所属の1個小隊が現場に急行した際、イリノイ州マウント・スターリング出身のディックD. カーペンター軍曹は敵に対する偵察任務を志願した。カーペンター軍曹は早速偵察を開始したが、しばらくして前方わずか25ヤードの距離にあった、よく偽装された日本軍の塹壕にから突然銃撃を受けた。カーペンター軍曹はとっさに地面に伏せ、敵の塹壕まで10メートルのところまで匍匐前進で静かに近づくと、そこで手榴弾2発を投擲して直後に突撃、手にしていた短機関銃で塹壕内の敵兵3名を射殺した。この迅速で攻撃精神に溢れ、かつ勇猛な攻撃により、彼の小隊は一人の死傷者を出す事もなく、進撃路の安全を確保する事が出来た。 <11月12日> 第12騎兵連隊の作戦地域では、アラバマ州カラマン出身で、連隊本部管理隊のフィニス・モーガン曹長が、バディアン山にあった敵陣に対する攻撃を指揮したその功績を評価されていた。モーガン曹長は恐れを知らぬ攻撃を敢行し、自身も敵の迫撃砲陣地から数ヤードのところに突撃、日本軍の迫撃砲手3名を殺害し、砲までも効果的に破壊した。 <11月15日> 2348高地の斜面では、第12騎兵連隊第2大隊が日本軍の激しい抵抗を受けていた。敵は引き続き後退を続けていたが、それでも大隊の前進速度は遅々としたものであった。常に巧みな偽装を施す日本軍は、塹壕群を周辺に配置し、アメリカ兵が接近すると、いきなり擲弾筒、機関銃および小銃などで攻撃を仕掛けてくるのであった。そのため、前哨の偵察隊は極めて慎重に前進し、敵の発砲を認めるや、直ちに砲兵に対して制圧射撃の支援要請を行い、敵陣地を破壊する必要があった。しかし、敵の方形堡が極めて巧みに遮蔽されている場合などは、砲兵でさえまったく効果を与える事が出来ないため、その場合は、マヌス島での戦闘のように、歩兵が直接敵の方形堡を攻撃し、小銃射撃と手榴弾の投擲で一つ一つの壕を制圧しなければならなかった。 数度の小規模な銃撃戦が午前中に発生し、正午には第12騎兵連隊第2大隊が、少なくとも40以上の塹壕からの重機関銃と小銃による射撃を浴びた。砲兵による短い弾幕射撃の後、敵の塹壕の数は減少し、新たに迂回攻撃を行った部隊が7名の日本兵を射殺した。その結果、ジャップは陣地を捨てて退却して行ったが、それらの陣地は実に60名から100名ほどを収容出来る規模のものであった。ジャップたちが使っていた機関銃のうちの2丁は、アメリカ製30口径水冷式機関銃であり、それらは日本製の銃器類と併用されていた。
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| 2012-07-30 13:59
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