歩兵第四一連隊は、明治二九年に広島一一連隊の兄弟連隊として広島市で創設された。明治四一年七月二〇日に深安郡福山町の当地に転営したが、これは大正五年の福山市市制施行の原点となった。
当時の福山町は人口わずか一万八千余、工業もまだ発達せず、商業においても旧城下町の需要を満たすだけの状況にすぎなかった。そこで町当局は、明治三九年に第一七師団(岡山)増設の情報を得るや、軍隊を誘致することによって商工業の進展と民風の作興をもたらし、岡山と広島の中間における将来都市の建設を企図して運動をはじめた。そして町民より寄付を募り、数万円の金を寄付してこの転営事業を助けたのである。 かくして四一連隊の転営が決まり、あわせて連隊区司令部と福山憲兵分隊(現・御園幼稚園)、福山衛生病院(現・JA福山)が設置されることになった。連隊は昭和二〇年七月レイテ島において軍旗と共に玉砕するまで四九年間の歴史を有した備後の郷土部隊であった。 この間の歴史を一言にして言えば、実に精強にて武勲に輝きながら、悲運の連隊であったと言う他はない。悲運とは、全般の情況および戦勢上、いかなる名指揮官が指揮しても連隊程度の戦力では打開できない運命のことである。 日露戦争から大東亜戦争終結までの間、四一連隊在籍の約七千名余の将兵が祖国に殉じた。その戦没者名簿を碑の後方石室に納め、末永くその名が後世に伝えるとともに、多くの市民が「反戦平和を歴史に学ぶ」ことを切望する。 一、創立 明治二九年一二月一日 二、明治天皇より軍旗拝受 明治三一年三月二七日 三、徴募管区(徴兵された当時の行政区分) 備後二市(福山、尾道)八郡(御調、世羅、甲奴、神石、芦品、沼隈、深安、比婆)安芸二郡(豊田、賀茂) 四、戦役参加 1、北支事変 明治三三年七月一一日、在清国日本公使館および居留民の保護のため、宇品港出港、大小一四の戦闘に参加し、三四年七月二二日凱旋した。戦死将校三、下士卒六三、負傷将校五、下士卒一三四 2、日露戦役 明治三七年五月一五日、宇品港出港、得利寺・蓋平・小紅旗堡・大石橋、析木城・遼陽・沙河・黒溝台・奉天等の諸会戦に参加し、師団の骨幹として各地に善戦して武勲に輝いた。 特に三七年一〇月の沙河会戦の際は第二・第四軍の間隙補てんの命を受け、要点・万宝山を占領したが、全戦線の突角となって敵の強力な逆襲を受け、遂に左翼後尾連隊が突破せられたために、夜間背後から敵の急襲を受け、連隊長以下多数の戦死傷者を出した。しかし軍旗は連隊長の適切な処置により無事であり、第一線部隊は奮戦よく万宝山を死守した後、命によって後退した。 連隊は一〇月一六日を万宝山記念日として休日とし、営庭には樋口季一郎・第一七代連隊長が「万宝山記念碑」を建立して先輩の偉勲を称えた。 明治三八年五月一〇日より七月二日まで昌図付近の守備に任ず。三九年一月三日凱旋、戦死将校二八、下士卒七三〇、負傷将校一三一、下士卒二、七九〇 3、臨時派遣 昭和六年一二月一八日、編成令に依り、第二大隊と機関銃中隊が第五師団臨時派遣隊に加わり、天津に出動する。 4、支那事変 昭和一二年七月二七日動員下令、山田鐵二郎連隊長以下、八月一日宇品出港、奉天を経て北支那・北京に至り、直ちに八達嶺付近・万里の長城戦に参加した。引き続き河北省・淶源の戦闘の後に保定・定州に前進、同地より反転、国崎支隊に入り、塘活より乗船、杭州湾金山衛城付近にて上陸作戦、南京攻略戦に参加した。 昭和一三年一月一三日、青島に上陸し徐州会戦に参加、九月に青島帰着、一〇月一八日に第二一軍に入り、バイアス湾上陸作戦、南支那作戦に参加、一二月一七日に広東出発、一三日に青島に上陸した。このように四一連隊は「敵前上陸専門部隊」として米軍の海兵隊的存在であった。 昭和一四年一月より九月まで、東部魯北粛正作戦、九月一四日、ノモンハン事件のため大連に上陸し同地駐屯、一〇月二七日大連出港、一一月一五日、南支欽州湾上陸作戦、賓陽会戦に参加する。 昭和一五年九月~一〇月、北部仏印進駐、一一月ハノイ経由ハイフォンより上海に転進、同地において自動車編成(機械化部隊)に改編した。 昭和一六年二月、呂号作戦による訓練、四月、淅東作戦のため寧波に上陸、渓口鎮にて蒋介石の生家を占領する。一一月六日、南方軍の戦闘序列に入り、上海より海南島の三亜港に集結し次期作戦に備えた。 5、大東亜戦争 昭和一六年一二月八日、第二五軍(山下奉文軍司令官)第五師団(鯉兵団)に属し、タイ国シンゴラ上陸作戦、引き続きマレー作戦に参加する。ジットラライン、カンパルの堅陣、ゲマスで豪軍の待ち伏せ攻撃を受ける等数々の激戦を突破し、二月一日、ジョホールバルに進出した。 二月九日、ジョホール水道を敵前渡河し、ブキテマ高地における英軍との激戦を制して、昭和一七年二月一五日、東洋のジブラルタルと呼ばれたシンガポールを占領した。これは銀輪部隊による「マレー電撃作戦」と呼ばれ、大東亜戦争緒戦における大勝利であった。 同年三月、河村支隊の編成に入り、フィリピンに前進、パナイ島・ミンダナオ島の勘定作戦(ゲリラ討伐)に従事する。 同年七月、米・豪軍の拠点ポートモレスビー攻略作戦のため南海支隊(高知一四四連隊・独立工兵一五連隊・福山四一連隊)の編成に入り、フィリピン発ラバウルを経て八月二一日にニューギニアのバサブアに上陸(総員一、八八三名) 武器・弾薬・食料二〇日分を背負い、ココダを経由して人跡未踏のジャングルにおける戦闘により豪軍を撃破しつつ、九月二日に標高四千米級の高峰が連なるスタンレー山脈の分水嶺を占領した。 引き続きポートモレスビーに向かい前進、九月一六日についに高知一四四連隊と共にイオリバイワを占領し、はるかにポートモレスビーの灯を遠望した。懸軍万里、長躯遠征、故国より五一〇〇キロ、オーエンスタンレーの頂上に日本軍が進出したことは、戦争の良否は別として日本史上に残されるべき史実である。 九月一六日、反転命令によりイオリバイワより反転、ココダにて敵に退路を遮断されクムシ川の激流を渡河する際に多くの犠牲者を出した。 一一月二八日にギルワ陣地の守備に就く。西のバサブア守備隊と東のブナ守備隊が全滅する中、ギルワ陣地は敵の包囲下、弾薬・食料が底を尽きながらも奮戦し全滅寸前となる。 昭和一八年一月二〇日、南海支隊のクムシ川河口への後退命令により敵中を突破し、軍旗を奉じて一月二九日にクムシ川河口に集結を完了する。次いで一八年六月、ラバウルに集結する。(生存者二〇〇名弱) 昭和一八年九月二日、地獄の戦場・ニューギニアより朝鮮・平壌に復員して三〇師団(豹兵団)の隷下に入る。中四国地方、朝鮮半島より兵員を補充し、連隊再編成に努める。 昭和一九年五月八日、平壌発、フィリピンに前進し、五月二五日にミンダナオ島の警備に入る。第三大隊は終戦までミンダナオ島で組織的戦闘を継続した。 一〇月二〇日にマッカーサー率いる米軍がレイテ島に上陸するや、援軍のため一〇月二六日に連隊主力(第一・二大隊約二五〇〇名)はレイテ島オルモックに急行した。リモン峠を越えてタクロバンに向けて前進中、ハロ付近にて米・第二四師団三四連隊と遭遇戦となった。正確無比な速射砲射撃により米戦車の砲身に撃ち込み二両を撃破したが、戦況不利にして一一月一日にカリガラ西方の五一七高地(ミノロ山)付近に後退・集結した。 その後、脊梁山脈(七一六高地周辺)においてゲリラ戦を展開し、米・第一騎兵師団の補給路は寸断され、米軍は七一六高地を「飢餓の尾根」と名付けるほど苦戦を強いられた。一二月二三日、脊梁山脈よりリボンガオ付近に下山しマタコブに向けて転進、残存兵力二五〇名。 昭和二〇年一月、カンギポット山麓のカタブカン台地に集結し、セブ島に転進した第一師団の後任として残存部隊の指揮を取る。セブ島への転進に望みをかけて長期自活自戦態勢をなすが、迎えの船は来ず「捨てられた戦場」となり、六月頃の人員は約一〇〇名となった。 七月一五日頃、ビリヤバ北方二〇キロ(レイテ富士近く)にて、炭谷鷹義連隊長は最後まで軍旗を奉持した中村鎮大通信中隊長他と共に軍旗を奉焼して玉砕したと推定される。明治二九年の連隊創立以来、じつに四九年にして歴史の幕を閉じた。 戦後、連隊関係者は当地に連隊の記念碑を建立することを切望したが叶わず、昭和五三年に衛生病院跡地であるJA福山に記念碑を建立した。市制施行百周年を期して福山市遺族会の尽力により軍旗拝受記念日に本来の跡地への移設が実現した。 平成二八年三月二七日 福山市議会議員 大田祐介
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